著者はシェイクスピアをたくさん訳した人らしい。……という事前情報だけで読んでみた。
そしたら本作は意外なことに、ほぼ舞台の方向からのシェイクスピアのエッセイでした。
てっきり英文学からのシェイクスピアだと思っていた。
経歴を知るとそれも納得なんですけどね。
元々、大学時代にボトム役を演じたことが縁で、一時期は劇団雲に所属し、
演出を志望していたらしい。だがそれも短い期間で諦め、東大の大学院に入り、
シェイクスピアの研究を――してはおらず、シェイクスピアの後輩作家である
ジョン・フォードで修士論文を書いたそうだ。
この頃までは演劇に関わることを願っていたそうだが、それは成らず、
美術評論の翻訳をしていた。そこから美術関係、小説、そして戯曲の翻訳をするようになる。
そのうち、シェイクスピア劇から影響を受けて作られた現代劇をいくつか訳し。
その頃、懇意の編集者(のちに演劇評論家)から雑誌にシェイクスピアについての
エッセイを書くよう依頼され。一度は断ったものの結局書くことになる。
それがこの「すべての季節のシェイクスピア」。
そしてとうとう「夏の夜の夢」の翻訳依頼が来る。すぐ続けて「間違いの喜劇」も。
それぞれシアターコクーン、東京グローブ座で上演された。
同じくらいの時期にすでに知り合いだった蜷川幸雄に「夏の夜の夢」の私訳を手渡してみる。
95年、蜷川から「ハムレット」の翻訳を依頼される。
九四年の秋に「ロミオとジュリエット」を訳した私は、ダメ元で筑摩書房に
お伺いを立てた。「訳した三本だけでも活字にしていただけないでしょうか?」
その願いが快諾されたばかりか、いっそ全集にしましょうというちくま文庫からの
有難い申し出である。武者ぶるい。
このロミジュリは自主的に訳したんですかね?
その後、ちくま文庫の表紙をかねがね憧れていた安野光雅に編集者を通じて依頼すると、
安野光雅から直接電話があり、「本」という雑誌にシェイクスピア関連のエッセイを
書いてくれるなら表紙を描きましょうという交換条件。
「本」の連載が始まる前に、安野さんの運転で「シェイクスピア歌枕の旅・英国編」を、
そして「イタリア編」を敢行した。至福の日々だった。毎日笑って過ごした。
そして、九六年の八月ごろのある日の夕方、東京グローブ座のアトリウムで
蜷川さんにばったり会った。彼は言った、「今度、彩の国さいたま芸術劇場で、
僕が芸術監督になってシェイクスピアの全作品を上演することになった。
ぜんぶ松岡さんの訳でやるからね」
運命としか思えない。
というわけです。
――こんなに長く書くつもりも、ましてや引用するつもりなどなかったのに
長々と引用してしまいました。この人の文章、言い回しがそこはかとなく好きなのよね。
もともと演劇をかじってなかったら――ただの英文科の学生だったら、
そうそうあちこちから翻訳を、という声はかからなかっただろう。
筑摩書房に書籍化の打診を出来たのも関係性が出来ていたからこそ。
そこで全集の申し出があったのはそれまでしっかりした仕事をしていたから。
蜷川幸雄と顔を合わせていなかったら、さすがに自訳を渡すこともなかっただろうし、
「ぜんぶ松岡さんの翻訳で」という声がかかったのは「ハムレット」の縁から。
どんどん紡がれる糸が面白い。この人々の繋がりによって、
33作もの松岡翻訳作品が世に出た。最終作品は「終わりよければすべてよし」。
この本の中身で一番覚えているのは、「ハムレットが一番見られている存在」ということ。
なるほど……。ハムレットってなんか違和感のある作品だったのよね。
それがハムレットが「演技している存在」ってことにあるといわれれば、そうかも……と思う。
母が息子を窺う視線。
叔父であり義理の父が次の王になる予定の男を監視する視線。
オフィーリアの慕情にあふれた視線。
ポローニアスの計算高い視線。
全員を取り巻く家臣たちが、父を殺された息子ごしに交し合う視線。
その中ではハムレットは演技を続けるしかない。
舞台上で役者がハムレットを演じ、話の中でハムレットはハムレットを演じる。
そう思えば最後、フォーティンブラスが入ってきた時に全員が死んでしまっているという
ある意味無理がある展開にも若干の納得感が加わる。
芝居の二乗だからああいうあまりにも舞台然としたラストになるのかと。
この本の終盤は若干文学寄りな内容になるけど、特に読みにくいことはない。
舞台寄りのエッセイの部分は読みやすい内容で、不満は何もない。
まあ舞台を文章で読むという部分は根本的に無謀なわけだが、それはご愛敬。
昔、ストラトフォード・アポン・エイヴォンで「ハムレット」を見たことがある。
農業見本市と重なって、B&Bが見つからず、スーツケースをひっぱりながら
相当に歩いた記憶。
なつかしい。

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