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◇ 奥本大三郎「博物学の巨人 アンリ・ファーブル」

この人は面白いエッセイを書く人。
ここ何年かで何十冊か読んできたが、最初のうちは昆虫学者だと思っていた。
なぜなら、ひたすら虫について熱く書いていたから。

途中で彼の生業はフランス語・フランス文学らしいと気づく。
おや?ここまで虫にのめりこんでいて、本業はフランス文学かい。
虫屋になってた方が幸せだったかもしれないが。

1944年生まれ。そうすると現時点では77歳くらいですか。
でもこの本が出版された時は55歳だし、わたしが今まで読んでいたのは
それ以前のものなので、この人が40代~50代のエッセイなんだよね。

それにしては……なんだかおじいちゃんみたいな書きぶりなんですよ。
40代だろうのに、70代くらいの人が書いているような口ぶりで書く。
明治の頃の文豪たちの随筆を思い出させる。この辺が不思議だった。
だいぶ影響を受けたということなんだろうか。

通常のエッセイはどっちかというと、とりとめのない軽いもの。
虫について書いてない時は、今時の学生の生態や、教授としての日常のあれこれ。
文章自体が面白いから、何を書いていてもだいたい面白いんだけど、
つれづれなるままに、というスタイルのエッセイ。

が、この本ではちゃんとテーマに沿ったエッセイを書いていた。
もしかして初めてじゃない?こんなに段階を踏んで、あるテーマについて書くの。
新書だから油断して、普段よりさらにゆるゆるのエッセイだと予想していたよ。
そしたらすごくまとまった、形になったいい本。
これはファーブルの人生について書いた小著としては第一番に推したい。

まあわたしはファーブルに興味があるかというと、ないんですけどね。
子ども用の「ファーブル昆虫記」は昔から家にあったが、読んだのは
小学校高学年になってからだったと思う。
なにしろ、わざわざ虫について詳細に書いた本を読む意味がわからなかった。
だってコワイじゃないですか。蜂が他の虫の幼虫に卵を産み付けるとか、
糞を転がして食べ物にするとか。全体的に読んでいて気味が悪い話。

どうしてこんな気味の悪い話を書くんだろう……というのを乗り越えたのが
小学校高学年くらい。まあこういう本を書く人もいるんだなあと思いながら読んだ。
面白かったけど、何しろテーマがコワかったので、数回しか読まなかった。

それ以来ファーブルとの縁はない。
あ、それでもアヴィニョンに行った時は、ファーブルが教えた学校の跡地だか
なんだかの公園を通りかかったな。街中にあって、市民の憩いの場所。
そこで、買って来たパンを食べて昼食にした。
花がそんなに手入れがされすぎない程度に植えられていて、
その適当な雰囲気が、ファーブル本人に対する関心のなさに似通うような気がした。

本を読むと、ファーブルは相当苦労した人らしい。
貧しい家庭の少年は、努力して貧しい中学教師になり、忙しかったけれども、
大好きな花や植物に囲まれた生活を送り、しかし貧乏は相変わらずで、
子どもたちを相次いで死なせてしまう。

時々は有名人に知己を得て、精神的、経済的に一瞬豊かになったりもするが、
そこから楽な渡世へ、という道にはいかない。
荒々しい、作物も実らないような荒野とそこにある虫と花に執着し、
その目でじっと観察し、得たことを本に書き、寸暇を惜しんで沢山書き、
生活の糧を稼いだ。

虫狂い、のんきに虫を追いかけているおじさん。というイメージだったけれど、
のんきどころではない苦労をしたんだなあ。

奥本大三郎は「昆虫記」全10巻を訳出したらしいので、今後いずれかの時点で
読むことになると思う。また読んでいてウゾウゾする話を
今度は10巻分も読まなければならないのかと思うが、
テーマはテーマとして、面白いからね。楽しみでもある。

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