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◇アルベルト・マングェル「読書の歴史 あるいは読者の歴史」

こないだはこの人の「図書館――愛書家の楽園」を読んだ。感銘を受けた。
コムズカシイのに読みやすいという、両立不可能なものを両立させた稀有なエッセイ。

今回のこれも、その点は同じ。
まあ前回と同様のクオリティなので、初回の衝撃はなかったわけですが。
時間はかかるが、楽しく読む。

今回の内容で注目すべきは、ページ数は12ページと長くはないが、
「壁に囲まれた読書」という章で、日本の平安時代の女房文学を取り上げていること。
社会的に閉塞状態にあった当時の(特権的な階級ではあるけれども)女性たちが、
自分たちのための読み物を自ら生み出したことに触れている。

――外国人が書く日本、それも過去の、それを翻訳に拠って読む。
毎回(というほど読んではいないが)違和感がまとわりつく。
ガラスを挟んでいる。隔靴掻痒の感がつきまとう。

わりと言っていることは難しい――というより、書く内容を完全に
絞り込めないまま書いてるんじゃないかな。

本には男性向け、女性向けと分けられる場合がある。
女性向けの本は総じて歴史的にレベルが低い。
11世紀の日本では少数の女性のための物語が女性によって創作された。
女性たちは日常生活に制限が多かった。
女性たちは仮名文字を発達させ、その新しい言語で不朽の名作を生みだした。

と、ここまでは一般論。
その後2、3ページにわたって「源氏物語」や「枕草子」についての言及があり、
さらに一般論に戻る。

この後半の一般論はちょっとわたしにはまとめられない。わからない。
わりととりとめのないことを喋っている気がする。
ジョージ・エリオットが「女性作家による馬鹿げた小説」と呼ぶものについて
語っている部分とか。
(まあこういう切り取り方は恣意的だが。ちなみにジョージ・エリオットは女性で、
またエリオットの意見が全面的に著者の意見というわけでもない)

これらの告白体小説は読者自身によって書かれた小説(随筆)といえる。
「女性を描くには四通りの方法がある」自伝・フィクション・伝記・無意識。
という批評家の言葉。
フィクションの原初的形態についての批評家の言葉。
――このそれぞれの批評家が何を言ったのかを書いておかないと
まったく意味はないのだが、書くのが面倒で書けない。

ちょっと言いたいことがあるところを引用する。

   このかな文字は、「女性の書き物」とされ、その使用は女性に限られて   
   いたので、女性をいわば支配していた男性の目には、かなり色情的な
   ものに映ったようである。

これは違うよな。かな文字は男性も書いた。公式書類には使わなかっただけで。
それこそ和歌を書く時とか。歌合せなんかも相当の規模で行なったはずだから、
私的なものだけに限ったものではない。
まあ日記(今でいう日記と違う。行動記録。)なんかは適当漢文で書いたらしいから、
今よりも使うシーンが少なかっただろうけど。

そして「色情的な」という単語を使われるとなあ……。
これはマングェルの理解が足りないのか、翻訳者の言葉選びが間違っているのか、
知りたいところだ。
これを全世界で読んでいる外国の人には、かな文字の理解を誤らせちゃうだろうなあ。
ここで使われるべきは「なよやか」とか「たおやか」とかそういう単語であるべき。
いや、それもしっくり来ないな。
うーん、ここは原著者の責か、翻訳者の責か。難しい。

他にもあるけど、面倒になったので省略。

まあとにかく幅広い知識を背後にたくわえた本です。
教養のある著者というのはこういう人のことだというのを見るにはとても良い。

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