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◆ 大アンコール・ワット展

美術出版社で出している「東洋美術史」というカラー本を読んで以来、
東南アジア的仏像は苦手かもしれない、と思っていた。
眺めているうちに段々食傷してしまったんですね。何しろあっちは造型が濃い。濃厚。
わたしはもっとあっさり風味の方がいいなあ。

なので、今回のエキシビも「どーだろ……」と思いながら行った。ちょっとおっかなびっくり。
アンコール・ワット、もちろんテレビでしか見たことありませんが、
ごてごて感のある建物で、見るからに濃厚そうじゃありませんか。

が、実際に見て、仏像一体一体はかなりシンプル系統のものだということがわかった。
インド辺りになるとまた違うんだろうけどなー。少なくともエキシビに来ていた、
クメール王朝期の仏像は、拍子抜けするほど単純化された線で造られている。
いや、単純化というより、相当の程度まで純化された線というべきだろう。

少し規模が小さかったこともあって、「これ!」というものが数多くあったわけではないのだが、
「ジャヤヴァルマン7世の頭部」の像には唸った。
他の仏像頭部(数体あった)にも共通することなんだけれど、この実在感といったらどうだろう!
写実的……というのともちょっと違うと思う。本当にシンプルに、必要最小限の線で作られた石像。
それなのに、まるで生きているようで。

像は軽く目を閉じている。じっと見ていると、ふと目が覚めるのではないと思えるほど、
血が通っているように感じる。石像で、もちろん睫毛なんかないのに、
呼吸に合わせて揺れる睫毛が見えるようだった。
微かに浮かべた口許の微笑が優しく、仁愛ある名君だったろうと思わせる。

全体的な完成度は、相当のところまで行っているという印象だった。
外形的には理想美……というわけではない。仏像頭部にしてもあまり聖性は感じず、
むしろ「絶対いる、こんな人」と思わせるような庶民的な顔。
でもラインがすごい。頬のラインや眉毛にしても、これしかない!というようなカーブ。
一人の仏師の到達点というならわかるが、全体的にそういう特徴を持っている。不思議だ。

しかしそのせいで多少面白みがなくなっているのも事実かな。
あまりにも純化された線だから、一つ一つの仏像に個性が出にくいような気がする。
もちろん特長がないわけじゃないんだけど。しかし数ある女神立像なんかは、
わりと似通ってしまっていたような。ちょっと物足りない。

「ジャヤヴァルマン7世」以外に目を引いたのは、「ヴァージムカ像」。
これは訳すと馬頭観音になるらしく、馬頭人身の立像として作られており、
見どころはそこらしいのだが……
わたしが見たのは、肩から胸の辺り。特に左から見ると、どこぞで見たトルソ像に似通う。
まだ成長過程の若者のわずかに細い体。少し体をひねって動きと柔らかさを出している。
ギリシャ辺りの造型に近いような気がする。
と言っても、位置的にも時代的にも、そう密な繋がりは考えられないんだけど。

少々腰がひけていたわりには、まあまあの収穫のあったエキシビだった。
先入観を修正することが出来たのが大きい。
やはり「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ」。

追伸。
中学生だか高校生だかが、修学旅行か郊外学習か、グループでこのエキシビを訪れていた。
どうしてもそういう存在は微妙にうるさい(彼らはそれなりにマナーを守っているつもりだろうが)ので、
基本的にわたしは出来ればそばで見たくはないのだが、
同じレリーフを見ているときに、そのうちの男の子の一人が
「俺これ好きだー。部屋に飾りてえ」と言ったのは微笑ましかった。
うん、そういう気持ちが美術鑑賞の基本だよね。大事大事。

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