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◇ 佐藤亜紀他「皆殺しブック・レヴュー」

これは、少し辛めの書評本。(くらいのことしか言えない)

全20章。各章のテーマは以下の通り。
「書評」「学校」「ケンカ」「病気」「ユダヤ」「団塊の世代」「戦争」「ポストモダン」「オウム」
「アメリカ」「大震災」「95年ベスト本」「マルチメディア」「ミステリー」「哲学入門」
「中国」「怪奇」「教養」「巨匠」「96年ベスト本」

俎上にのせられた本は全114冊(多分。一応数えたが)、副題に「かくも雅やかな書評鼎談」と
あるように、話し手は三人。佐藤亜紀・福田和也・松原隆一郎。
表紙が真っ黒でタイトルが赤文字、使われている絵は「サルダナパールの死」の一部分。
副題と絵は佐藤亜紀っぽいけど、このどぎつさは彼女らしくないなあ。

……読んでみてわかったんですけど、この鼎談の中心は福田和也という人なんですね。
最初に佐藤亜紀の名があるのは、多分一番名が売れているからでしょう。
わたしは佐藤亜紀のラインでこの本に手を出したので、ちょっと物足りなかった。
彼女は「温めの冷水を浴びせる」程度の役割しか果たしていない。発言量がすごく少ない。
多分フィールドが違ったんじゃないかなー。

ついでに、取り上げられた本のラインナップは、ほとんどわたしの網にひっかからないものばかり。
政治にも社会にも、思想にも興味ありませんからねー。114冊のうち、読んだことがあるのが3冊、
読もうとしている本が4冊、読む気になった本が1冊。……好みから遠い。
そのわりにはさくさく読めたけれども。一冊に割く分量が少ないから。公平に言えば、面白くないこともない。

皆殺しブック・レヴュー―かくも雅かな書評鼎談
佐藤 亜紀 松原 隆一郎 福田 和也
四谷ラウンド (1997/07)
売り上げランキング: 253,468

とまあ、本の感想としてはそれだけなんだけれども、個人的な本題は別にある。

「書評」の章で福田氏が言っていたこと。(要約)
「書評にはアングロ・サクソン系とラテン系がある。前者は(書評として)実用性が高い。
後者は批評家が自分の世界を展開するために本を使う。たとえば小林秀雄のような。
日本では昔からラテン系が多い」

……いや、別に小林秀雄に並ぼうというわけではないし、「自分の世界を展開している」なんて
大層なもんでもないから、この文脈で出すのは不適当だとは思うが、これを触媒として
常々、自分の「読書感想」に対して思っているところを言いたい。

わたしの本の感想って、非常に狭いんですよね。
自分でも、一番大事なところに触れていないなー、という自覚はある。
今まで自ブログ上で11冊の本を取り上げたけれども、内容に分け入っている本がほとんどない。
みな、作りや表現といった周縁部のことばっかり……。内容でも、部分部分に関しては、
どちらかというと考えながら読んでいる方だと思うが、その作品がほんとに言いたかったこと、
そしてそれについて自分はどう思うのか、という部分がない。

正直な話、わからないんです。

読後、わざわざ沈思黙考しなければテーマが思い浮かばないんだったら、
それはほっといてもいいじゃないかと考える部分もある。自分にとって意味があるテーマならば、
多分こちらがぼんやりしていても、光って存在を主張するだろうと。
光っていない、ということは自分にとってそれほど意味のあることではないんだ。
基本はそう考えていると思う。多分わたしは。

……しかし、もし自分が盲目だとしたら?これが怖い。
自分が考えているほど、目は見えているのだろうか。わたしは偏見によって生きていこうと
考えているので、ある部分(それがかなりの部分でも)に関しては、全く見えなくても
別にびっくりするようなことはないのだけれど、でも切り捨てた「ある部分」以外のところは
ちゃんと見えているのだろうか。

そう考えると、やはり自発的な「見る努力」が必要なのかとも思えてくる。
が、その努力はピンポイントには働かない。……ような気がする。
引きずられて間口が広がる。

ちと話は跳ぶが、「バカの壁」……数年前にベストセラーになったが、わたしはこんな風に考えている。
(しかし多少曲解している。養老さんが言っているのは多分もう少し日常範囲のことだと思う)
バカの壁、けっこうじゃないか。どうせ人間の脳みそには限りがある。
全てを理解することなんて不可能。であれば他の全ての部分に壁を作ってでも、
たった一ヶ所開いた方向へひたすら手を伸ばしていくという方法もあり得る。
その方法で遠くまで行けるのなら、それはそれで幸いなことだ。

大きな穴を開けた水鉄砲は、勢いは良いけどあまり遠くまでは飛ばない。
小さな穴の水鉄砲は、威力はないけれど遠くまで飛ぶ。
どっちを選ぶかは人それぞれ。

ただ問題は、人間の精神力はそれほど物理的な法則と一体になるのかということ。
わたしはなると思うんですけれどね。すごい天才は知らず、また個人個人の能力によっても
多少の違いはあるでしょうが、人間の思考量って制限があると思いますし。
でも「制限がある」と考えることが、もしかして限界を作っているのかなあ。

……など、長々とワケノワカラヌ、人様には全くどうでもいい話で申し訳ない。
わたしも一応、理性では「自分勝手な垂れ流しは醜い」とわかってはいるのだが、
どうも書きたいということはしょうもないものです。業に近いものですな。
やはり世の中を動かすのは、個人個人の欲望……

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