田辺聖子さんが書いた吉屋信子の評伝を読んでからこれを読んだ。
ので、二つを比べながら読むことになった。
田辺さんが吉屋信子の作品の引用を相当数しているのに対して、
吉武輝子は信子とその関係者の手紙を、相当に収録している。
信子と千代の往復書簡は……生々しい。といえば生々しい。
そのまんま小説っぽい。といえば小説っぽい。
よくこれを活字にさせたなーと思う。
千代は刊行時、まだご存命のはずだ。
赤裸々なやりとり。……それもそうだが、今でこそLGBTの多少の理解は進んで来たとはいえ、
(しかしあくまで多少にとどまる)
当時の(この本の刊行当時でさえ)風潮ではありうべからざることではなかっただろうか。
そこであえて言明する。それは千代の意志なのか。それとも吉武輝子が説得した部分なのか。
吉武輝子の方が、吉屋信子をより“女性の権利の騎士”として書いているように感じた。
あとは母親との確執。馬の合わない親子はつらい。
信子の場合、もののわかった兄がいてくれたのは救いだが、
わかっていない兄弟もおり、わかった兄にも家庭があることとて、
兄嫁まで含めた人間関係を考えると、しばしば信子は母親との同居を強いられることになる。
馬の合わない母親との同居に加えて、その母親が溺愛する弟との同居。
心に傷を負う日々だったに違いない。
愛されないことに加えて、その愛をみせびらかすように目の前で与えられては。
吉屋信子の生涯に千代がついていてくれて、本当に良かったなあと思う。
常とは違う結びつきだからこそ、信子も千代への日々の感謝を忘れない。
出会えたことの奇跡を忘れない。
男女の結びつきだったら、ここまで相手の価値を認識できたかどうか。
文壇の、数は少ないかもしれないが、男性作家たちと交流があったこともほっとさせる。
徳田秋声。菊池寛。
吉屋信子は「女は女」という意識の強かった人だが、男性にも心を通わせることの出来る人が
いたことはやはり人間としての安心感にもつながって行ったと思う。
田辺さんは“憧れのお姉さま”を書いたのに対して、
吉武輝子は“尊敬する先輩”という距離の取り方という気がする。
傾向は似ている評伝だと思うが、どちらも面白かったです。
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