この本は「読むクラインの壷」。
「ぼくのキャノン」というタイトルで、一体どういう話が想像出来るだろう?
……読み始めて、これが本当に大砲の話だと知った時には、腰が砕けた。
しかも大砲をご神体とする宗教だと?こんな地域社会って……コトブキ(ハート)って……
わたしが読んだ池上永一作品は5冊目、いつもながら、どこに転がるかわからない話を書くなあ。
初めて読んだ「風車祭」(カジマヤー)からそうだったんだけど、途中で読むのを中断して、
「えええ~、こっちへ行くんかああああ!」と(実際に)つい叫んでしまう話運び。
融通のきかない性格であり読み手であるわたしとしては、作者は一体どんなことを考えて
こんな話を作るのかとつくづく……心底から疑問である。
でも、その鼻先の引きずられ方は、なんだかとっても気持ちがいい。
物心つく前の幼児の頃のような、睡眠中の夢のなかのことのような、そんな感覚。
夢を見ているなかでも喜怒哀楽があるように、笑い、泣き、心を動かされる。
いそうでいない、いないけれどもどこかにいそうな登場人物に感情移入し、
読み終わった頃にはすっきりさせられてしまう。
いや、たしかに整合性とか現実味とか、そういう部分は無理がありすぎる。
特にこの作品には、9・11のことも(何だか微妙な文脈で)出て来るから、
こういう風に使うのはどうなんだろー?と左脳的には悩む。
他にもいろいろね……。もう読みながら、「いやいやいやいや、無理無理無理」と何度思ったことか。
が、それでも読ませるのはどうしてだろう。考えても、実はよくわからない。
気持ちよさ、というのはあるのだが、なぜ気持ち良いのかが今ひとつ……。
キャラクターが魅力的、というのはいいとして、それだけでは足りないよなあ。
わたしは、「マッサージ効果」か?と考えている。
脳みそをゆるやかにかきまぜるような、現実とファンタジーの明るい混交。明るい混沌。
非常に微妙な位置にあって、脳みその中で普段使わない部分を刺激してくれるのが心地良いのではないか。
……と、考えているのだが、どうでしょう。
作者は沖縄出身の人である。この明るい混沌が、作者が生まれながらに含む「沖縄」から
来ているものなのかどうか、わたしとしてはそこのところを非常に知りたい。
だってこんな話、理性で計算しては絶対作れませんよ!(と思うぞ!)
この個性は貴重だなあ。読むたびにいつも思う。こういう話、書ける人は他にいない。
(と言いつつ、ストーリー自体がものすごく素晴らしい、とは思わないんだけど……)
池上永一。いてくれて、ちょっと感謝したい。(←これはかなりの讃辞。)
だが、amazonかどっかで「沖縄戦」という切り口で紹介していたけれども、それはあかんでしょう。
それは売り方を間違っている。沖縄戦というキーワードから(そういう興味を持つ人が)、
初池上作品としてこの本を読んだ場合、肩透かしを食うことは目に見えている。
読み手書き手双方に不幸だから、止めてください。
今まであまり思ったことはないんだけど、今回描写がいいなと思った。
冒頭、子供たちが丘から町を見ているあたりが良かった。優しくてあたたかな風が吹く。
作者が、ものすごく良い人に感じられるのはこんな時。実際はどうかわからんけど。
まだあまり本を出してない人なので、あと2冊読んだらわたしは全著作読破してしまうんですねー。
そんな作家、何年ぶりかなあ。
最新刊である「シャングリ・ラ」は初めて沖縄以外を舞台にしたファンタジーらしい。
それも楽しみだ。やはりこの人には「沖縄」が重要な要素だと思うので、そこから離れて、
作品が変わるのかどうか、興味がある。
あんまり変わらんような気がするけどね。相変わらず「こっちかあああ!」と、きっと……
叫ばせてくれることだろう。あれ、もしかしてこれも醍醐味なのか。
文藝春秋 (2003/12/04)
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