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◇ 丸谷才一「文章読本」

「上手い文章はこうすれば書ける!」というような本は山のようにある。
しかしなるべく手を出さないようにしている。
なぜなら、それを読んでも「別に、あんたのような文章を書きたいとは思わないよ」と思うから。
だがたまにうっかり手にとってしまう。……やっぱり「上手い文章」を書きたいという助平心は
あるじゃないですか。

でもまあ、数ある書き方本の中でも丸谷才一あたりまで来ると本物。
わたしは特に書き手としての丸谷才一、その文章が好きというわけではないのだが、やはりこの人は才のある人。
古典も読んで英語も出来て、和漢洋の文学に精通しているとなったらこわいものなしです。
「ユリシーズ」の翻訳は(根本的には全然わけがわからなかったけれども)舌を巻いた。

この人くらいちゃんと文学・国語がわかっていると、その辺の凡百の書き手とは違って、
名作・名文からの引用も自由自在だし、例として信用するに足る。
時々「すいません、この例としてこの文章って、どこが例になっているのでしょうか……」と
言いたいことはあったけど、それはわたしの不明だろう。

……だが読み終わってから3週間くらい経ったので内容は忘れた(^^;)。

小説家たちによる歴史的な発明としての口語体の文章、というところから始まって、
(ここから書き起こせるというのがまずその辺の人では無理)
当たり前だが名文を読めと言い、大日本帝国憲法のわかりにくさを攻撃し、まあいろいろ書いているのだが、
一番印象に残ったのは、

   ちよつと気取つて書け。

というところ。
これは第三章「ちよつと気取つて書け」のラスト一行で、

   (中略)とすれば、われわれはその失はれた条件を回復するためにも和書漢籍に親しまなければ
   ならないし、それでも足りない分を補ふには……さしあたりここに呪文が一つある。
   ちょっと気取って書け。

なんていう風に書いてあるもんだから、これは印象に残りますよ。
この章は「思ったとおりに書くということがよく言われているが」、

   頭に浮んだことをそのまますらすら写せばそれで読むに堪へる文章が出来あがるなんて、
   そんなうまい話があるものかといふことである。

で、先ほどのラスト一行にたどり着く。
その間には、もしそういうことをしたいのであれば書くにふさわしいように予め思う必要がある、と書いてあり、
その表現も印象深い。それはそれでありなんだよね。難しいだろうけど。
全体的に書きぶりはユーモラス。

引用が、世阿弥から古文からがっつり旧仮名遣いの明治文学からなので、面倒なのでだいぶ飛ばした。
それでも読み終わるのにけっこう時間がかかり、後半は若干飽きていた。
しかしレトリックの手法を引用つきで相当数説明するのは、やはり膨大な読書量と知識に裏打ちされた、
この人くらいにならないと出来ないことだと思う。
例として石田幹之助の「長安の春」が引かれていて、読んだ途端にピンと来たので嬉しかった。
これはほんとに名著なんです。

面白かった。川端康成や谷崎潤一郎の文章読本も読んでみようかなと思った。

……しかしわたしがぜひ言及して欲しかった、「そもそも丸谷才一はなぜ常に旧仮名遣いで書くのか?」
というところには全く触れてなかった。大正生まれと言えばたしかに時代も感じるが、
ついこないだまで生きてた人だし、そこまで旧仮名遣いが血肉化していた世代か?といつも疑問。

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