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◇ シェンキェーヴィチ『クオ・ワディス』

この本は「歴史小説」だったのだ。

のっけから余談だが、この本のタイトルと著者名は何とかした方がいい。というのも、
全3巻のこの本を図書館から借りる過程で、電話で在庫確認をしたことが一度、書棚の位置を
確認したことが一度あったから。そしてどちらも、

「在庫を確認して欲しいのですが」
「はい、タイトルをお願いします」
「”クオ・ヴァディス”」
「……すみません、もう一度お願いします」
「……”クオ・ヴァディス”です」
「あの、作者名は……」
「”シェンキェヴィチ”」
「……」

という会話になった。たしかにわたしの発音も良い方ではないが、耳だけで、
「クオ・ヴァディス」「シェンキェヴィチ」を聞き取れる人はどれだけいるだろう。
その上、さらに事態をややこしくする要因として、表記が統一されていない。
「クオ」と書く本もあれば、「クォ」と書くのもある。どちらの発音に従えばいいのだ。
「ワディス」「ヴァディス」の違いもある。「シェンキェヴィチ」「シェンキェーヴィチ」、
きわめつけ、「ヴァ」は日本語の中には定着していない音である。「クオバディス」で検索出来るのか?
……関連業界の方、何とかしてください。

余談が長くなったが、タイトルを何とかした方がいいというのは真面目な話でもある。
なぜかというと、この作品がこのタイトルであるばっかりに、わたしは長いこと、
この本を「物語的宗教書」だと思わされていたので。それで手を伸ばすのが遅れた。

古典作品なので(と言っても、書かれたのは百年くらい前。イメージよりも最近だった)、
タイトルは目にする機会も多く、その由来が
「クオ・ヴァディス、ドミネ?」(主よ、どこに行かれるのですか?)
から来ているという説明はあちこちで読む。
迫害に耐えて広まるキリスト教を描いた話だとばかり思っていた。

が、実際に読んでみたら、ごく中立的な視点に立った歴史小説だった。
”趣味の審判者”のペトロニウスと、その甥で、キリスト教徒の娘と恋に落ちるウィニキウスが近景。
暴君ネロ、廷臣たち、恋の相手であるリギア、使徒ペテロなど大勢の登場人物を中景に。
遠景には、洗練の極みで溶けくずれる退廃のローマ、そして生まれたばかりの世界宗教キリスト教。

さすがに上中下巻の長さだけあって、設定的にはなかなか大きな話である。
しかし実際には、良い意味でその大きさを感じさせなかったかな。さくさく読めて、重たくない。

これは訳が大いに関係するだろう。訳者は木村彰一という人で、よく言えばすっきりしたわかりやすい訳。
全3巻ということを考えれば、あっさりしていて読みやすく、まことにありがたい。
しかし悪く言えばパサパサと少々油が抜けた文章。一文一文を見ると今ひとつ味わいがない。
一長一短。翻訳は難しいですね。

内容は……何といってもペトロニウスがかっこ良かった!
たしかに最後はちょっとやりすぎというか、何もあそこまで派手にやらなくても、と思うが、
そこに至るまではいいですねえ。”快楽主義者”ということにマイナスを感じないならば、
ほとんど理想的な人間として描かれているでしょう。理性的で、美的感覚に優れ、財を持ち、
教養も深く、勇敢で、(ローマ貴族なりの)愛情も豊かである。
”優美”のある意味での典型。個人的には、諧謔家であるところが非常に好み。

ローマの風俗が詳しく、目に見えるように描かれているのも好きな部分だ。
読んでいると、知識として知っているローマ時代の遺跡などに肉づけが出来る。愉しい。
ただ、キリスト教徒迫害の部分は少々長すぎて、ちょっと退屈かな。下巻のほとんどがそれ。
残酷な場面が続くと、描写に優れたところが仇となって、うんざりさせられる。

ほとんど最終盤まで宗教啓蒙書だと思っていたので、いつになったらキリスト教の
勝利を説き始めるのだろうと思っていた。そしたら話が終わってしまった。
強引に礼賛を始めたら、文句を言ってやろうと待ち構えていたのになあ。
この公平感はなかなか偉いと思った。シェンキェヴィチがキリスト教徒であるのなら、
もう少しキリスト教の救いを強調したいところではないだろうか。でもそうは描かない。

一般的な日本人であるわたしは、こういうものを描く時のキリスト教徒作家の気持ちは
どんなものなのだろうと思う。「信じる者は救われるのだ」と言いたくなったりは
しないのだろうか。
この話の中で、キリスト教徒たちは、たしかに信仰によって自分は一応救われ死んでいくけれど、
それでも客観的にみれば、その死は酷く、惨めだ。ここを酷くはあっても惨めではないように
書きたくなったりしないのだろうか。
そして、キリスト教を最後まで笑いながら拒否したペトロニウスにも、作者は穏やかな死を
用意している。それは満ち足りているように見える。信仰による満足に決して劣らぬ。

この部分をどう描くか、期待していただけに、あまりにも公平に描かれてしまったことに肩透かし。
しかし歴史小説でしたらね。その双方の立場のバランスがとれていることが偉い。
うーん、やはり最初に宗教関連を意識しすぎたのか。これは、歴史小説だったのだ。

クオ・ワディス〈上〉

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