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◇ 最相葉月「仕事の手帳」

「星新一 一〇〇一話を作った人」を書いたノンフィクションライター。
最近この本を読んで感銘を受けたので、エッセイを読んでみた。

第1章「仕事の心得」は、この人独特の感受性はそこかしこに感じられるけれども、
書いてある内容は普通のライターのような感じ。まあそんなにびっくりしない。
卑下とまでではないと思うけど、自分を控えめ――等身大以下に書いてるしね。

第2章は「聞くこと」という章題で、基本的には自分がインタビュアーを務めたラジオ番組を文字起こしし、
それについての短い説明を入れている。
説明は内幕もあれば、本を書くためのインタビューとラジオ番組としてのインタビューの違い、
ここが失敗だったという反省点など。ラジオ番組の文字起こしもわりあい珍しいし、
それをインタビュアー本人が解説・反省をするというのはレアなので面白かった。
平日深夜の15分、4日間で1人の人物という番組を3ヵ月続けたそうだ。

第4章は「読むこと」。書き手が読むノンフィクションと書いてあるように書評。
とりあげた作品はみなノンフィクション。最相葉月に評価されたノンフィクションだと信頼するに足る気がする。
ちょっとベタ褒めしすぎですか。
しかしやはり書き手としての視点も混じっているので、一般人の書評や普通の書評家のものとは毛色が違う。

まあでもやっぱり読んで一番面白かったのは第3章ですね。

その中で早稲田大学で2回の特別講義を行った時の再録が面白かった。星新一の評伝の話。
何しろわたしはこの人の著作、星新一の評伝しか読んでないので……その話が一番興味深いのは当然。

かなり基本の基本のところで、うーん、と唸っていた。
まず何に唸ったかというと、

伝記と評伝は違うものだということを、長の年月生きて来て初めて知った!!
評伝はその本人と社会環境との関わりなども書くものだそうだ!評伝は人物評も含むが、伝記は事実の列記だそうだ!
ちょっと具体的にページを探せなかったので、正確な文章ではないけれども。

……わたしの読書遍歴のかなり初期に、豊臣秀吉の伝記がある。
読んだのは多分小学校の低学年で、当然子供向けの読み物だった。それがとても面白くて。
多分歴史好きになったのはあの本の影響が大きいと思う。

月に1冊、本を買ってもらえる約束だったから、その伝記シリーズ(名前は忘れた)の本を勇んで買っていった。
他に、ナイチンゲール、野口英世、ライト兄弟、二宮金次郎なんかもあったと思う。
野口英世はシリーズではなかったかな。別なシリーズでたしかキュリー夫人も読んだな。
しかし秀吉以外の人物はみな小物に見えてつまらなかった。まあそうでしょう、秀吉は王様になったヤツだもの。
その波乱万丈の人生を読んで。自分も秀吉になれると思った。
……省みるとどうもここ、人生の大きな分岐点だった気もする。

その後、豊田佐吉の伝記を読んで伝記シリーズへの熱は冷めました。
だって豊田佐吉、地味でしょー。気宇壮大なる戦国絵巻を求める子供が期待する方向とはまるで合わない。
なんでこんなつまらない人のことを伝記にしているのか当時は疑問だった。
子供向けのラインナップなら、そこまでシブイところを攻めなくてもいいのではないかと今でも思う。
いや、その地味さの良さに気付けなかったところに、現在のわたしがいるのか?

閑話休題。

というわけで、伝記は好きな方だろうと思っていた自分が今更伝記と評伝が違うものだと知ったことが衝撃だった。

次の基本の基本は、星新一の評伝のためにインタビューした人数が134人とあったこと。

……これも昔話になるが、わたしは高校・大学の部活動、サークル活動の関係で若干のインタビュー経験がある。
インタビューは楽しい。インタビューは好きだ。
が、これも翻って考えてみると、わたしが行なったインタビューはだいたいがほのぼのした人物紹介を書くための
インタビューだったので、難しいことは一つもない。
人間、自分のことを語るのは基本的に一番話しやすいテーマである。
インタビューの相手もほぼ学内の人だったので、そもそも敵対的立場にない。
発表場所が基本的に学内新聞・学内誌だったので、発表後の反応にもあまり気をつかうこともなく
これはネットが普及した今とは全く違うことだろうが、気軽に楽しくインタビュー出来た所以。

しかし最相葉月のインタビューはそんな甘いもんではないだろう。
134人の中には、星新一と利害が対立した人もきっといる。特に星製薬の運営・倒産の時期の
周辺人物たちは星新一のことを喜んで語ってくれるとは思えない。
喜んで語ってくれたとして、その内容が悪口に終始するというのも十分ありそうなことに思える。
それを聞くのは――プロである最相葉月は割り切りが出来るだろうけど、楽しいばかりではないだろうなあ。

インタビューそのものの前段階の、インタビューそのものを受けてくれるかのアポ取りも
……134人分(断られた人もいるだろうから実際はもっと多数)ともなると、気が遠くなるほどの作業量。
まあでもこれは、素人が思うよりは淡々と進められる部分なのかな。
最相葉月にもリストマニアなニオイを感じるので、ツブしていく喜びもあったかもしれない。

あとは……資料整理の部分かなあ。

星新一の伊豆の別荘には、彼の死後も手つかずで物がそのまま残っていたらしい。
最相葉月は家族からその整理の許可を得る。

星新一の評伝を書こうとしている人なんだから、本人は宝の山へ分け入るようなものだったとは思うけど、
その資料が最終的には段ボール100箱になったとかいうと、……いや~、無理。と感じる。
これもアレかなあ、作業量の膨大さに最初からへこまずに地道にコツコツとこなしていく、
その地道さが勝利に繋がるのかな。
豊田佐吉の地味さを受け取れなかったわたしでは無理かも。

しかも書き上げた後も資料整理は続いたというのだから。
もちろん本を書き終わったからって、もう用はないとばかりに途中で投げ出すことは出来ないだろうけど、
次の本に取り掛かることもしたいだろうし、スキマ時間をつかってちょこちょこというロケーションでもないし、
実際のところは大変だったと思いますよ。

本を書くのに6年かかったそうだ。
たまにフィクションで「構想10年!」とかいうアオリがあったりするけど、
ノンフィクションの場合の10年はフィクションの10年とは違うだろうなあ。
フィクションの場合は「このネタを思いついたのは大学生の時でね」というレベルであろうと推察する。
まあそれはそれでいいんだけれど、あまり具体的な行動は伴っていない気がする。

ノンフィクションの場合は、とにかく情報を集め始めたところがスタートであろうので、実質的な6年。
人生80年、そのうち仕事人生が50~60年として、仕事人生の10分の1をかけた仕事だよ。
「星新一 一〇〇一話を書いた人」を、もし星新一が読んだとしてどういう感想を持つかはわからないが、
人生の6年をかけて自分に向き合った人がいる、という事実は嬉しいのではないか。

……ということを思った。どうでもいい話なのに、どうも長くなるな。

この人、比率としては科学ノンフィクションの作品が多いらしい。
今後ツブしていこうと思います。

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