テレシコワの「ヤー・チャイカ」から話は始まる。
そういう方向の話だと思っていなかったので、がぜん興味が湧く。
だがテレシコワの話はいい加減なところで切り上げられ、あとは予想通り現代日本の話に戻って来る。
読んだばっかりなのにもう忘れてしまったが、
ラジオのフリーのアナウンサーAと作家の夫婦
ラジオのフリーのアナウンサーB
フリーのジャーナリスト・コメンテイター
ラジオ局のAD森
オタクっぽい若手研究者のヒデ、と拾った女の子
この5つのパートのパッチワークか?
えらくパート間の移動が激しいし、細切れだから、話はなかなか理解出来ないのだが、
それにしては真ん中あたりまで不満も持たずに読んでた。
文章が良かったんだろうな。普通で。癖もなく。ふわふわと心地よく読ませる。
話のつくりとしてはこないだ見た<ぶどうのなみだ>とそう変わらないのだが、
こちらは相手が見せるだけの情報で大人しく読んでた。あまり疑問を持たせないと思う。
人物を希薄にしか動かさないわりには、意外にラジオ業界やフリーアナウンサーについての説明は詳しくて。
そこで裏話的な部分も楽しむ。
ラジオのゲストに呼んだ交通博物館館長が語る話はテレシコワのことで、ゆるやかにゆるやかに、
パートごとがリンクしていく。そのパートの繋がり具会いは心地いいほど自然だった。
……しかし今振り返ってみると、全然いい話じゃないしね。
わたしはいい話の方が好きだからなあ。女の子のレイプの話とか、実はAとジャーナリストが浮気をしていたんだよ、
とか、後半でそういう話を明るみに出し、しかもそれが解決しないまま煙が消えるように終わってしまう。
こういう風に書かれても困るわ。
だって、レイプされた女の子が、数年経ってから相手の男を刺しに行って……手傷を負わせて、
それで話が終わっている。普通ならば男は被害届を出すだろうし、昔の悪行を晒したくなくて黙ってたとしても、
女の子の方は復讐が成功しようが失敗しようが、いずれにせよ彼女の世界の激動の筈なのに。
その後を書かないのって書き手としてズルイ気がする。
オオゴトを普通のことのように書く、というのは小説手法としてありなのかもしれないが、
わたしは受け入れがたい。
現時点での読後感は相当に悪し。
でも読んでる間は、繰り返すが不満はなかった。
この雰囲気でほのぼの系を書いてくれたら、けっこう好きになったかも。そう思うと惜しい。
タイトル的に、何を書いているのか気になるので「若冲の目」は読んでみるつもりだが……
うーん。どうかな。
その後、「若冲の目」も読んだ。
……今に至るまでで、なんだかこの人の印象は相当悪くなっている。信用できない。
やっぱり話の出だしはこけおどしのように、だいぶ遠いところから始めるんだよね。
そしてがっつり調べて若冲のことを書くのかと思いきや、
前作と同じように、ふわふわした、どうでもいいような男女関係の話が絡む。
どっちかに力を入れて書けばいいのではないかと言いたくなる。
どちらも中途半端だから、がっつり力を入れて書く根性がないから、
仕方がないからカップリング。という風にわたしには見えた。
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