赤瀬川さんの訃報を(だいぶ前に)ネットニュースで読んだ。
……お亡くなりになったんですね。
ただの一読者に過ぎないわたしだが、赤瀬川さんに対しては非常に親しみを持っていた。
遠くに住んでた親戚のおじさんが亡くなったような感じだ。
お葬式にも行って無い場合、亡くなったことが実感できないことがありますよね。
遊びに行けば、まだそこにいるんじゃないかという。
「トマソン」とか「明解さん」とか「老人力」とか面白いものを教えてくれた。
多分、読者とともに、まわりの友人を愉しませた人なんじゃないかと思う。
そうでなかったら、ああいう数多くのコチャコチャしたユニットは作れなかったと思う。
ユニットの結成が、むしろ作品であるという側面はあったとしても。
南伸坊とか松田哲夫が言っていたように、リーダーではない、中心人物というべき人だったと思う。
ドーナツの中心部。なんにもなさそうなように見えて、赤瀬川さんが真ん中にいると、
その他の個性の強い面々が絡める。まとまれる。
楽しかったんだろうな。楽しいばかりではないとしても。
そういえば、路上観察学会のパネルディスカッションを一度聴きに行ったことがあったんだった。
主催者側の段取りが悪くて、わりとグダグダだったのだが、それはそれで面白かった。
その時は主に藤森さんと南伸坊が多く喋ってたかな。赤瀬川さんは指名されてようやく……という感じ。
お友達はどんな風に赤瀬川さんを送ったんだろうね。
松田哲夫あたりが追悼集の作成もするだろうか。
藤森さんは赤瀬川さんのお墓の設計は完了しているんだろうか。
数年前から、赤瀬川さんの著作を年代順に概ねツブしている最中で。でもまだ2000年代に入ったばかり。
その時点でお墓の話も出てるんだから、もう完成していると思う。話が変わってなければ東慶寺に。
もし東慶寺にお墓があるのなら、鎌倉観光のついでにお墓詣り。
ついでのお参りでも赤瀬川さんは気にしないと思う。そういう人だったと思う。
「見ず知らずの人が自分の墓参りに来るなんて、考えたら変な気分だ。
有名人のお墓ならわかる。たとえば三島由紀夫とか。でも自分のお墓を誰かが見に来るなんて……
鎌倉めぐりのついでにひょいっと。“ふーん、これか”なんて思いながらちょっと手を合わせてくれる。
お線香。お線香はないかな。何しろ観光のついでだし。お供えもの。お供えものは、あとの始末が大変そうだ。
やっぱり手を合わせてくれるくらいがちょうどいい。」
……あんまり上手くいかなかったけれども、パスティーシュ風に。
ご冥福をお祈りします。
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