最初のページから、いや最初から5行目で、森見登美彦の世界にぱっくり飲み込まれる。
嬉しかったよ、わたしは。「ああ、これこれ!」という快さ。ぬくぬく。目出度し。
読んでいる間中、かなり幸せ。
なんていうのかねー。作品としてスゴイとか、文学史上の傑作だとかはほとんど思わないのだが……
愉しい。愉快。面白いというのともちょっと違う。読んでいて愉快な本はそう滅多にはありません。
一応これはラブストーリーであるのであろうか。
マジック・リアリズムの世界の中のラブストーリー。いや、でも青春物らしく、
さわやかにまとまってますよ。
わたしは先に「有頂天家族」を読んでいたので、1ページごとにその影を感じてしょうがなかった。
何しろ舞台が同じでしょう。その店先から矢三郎が顔を出すんじゃないかとか、
この人は実は弁天様なんじゃないかとか、実はこの人は赤玉先生の若い頃なんじゃないかとか。
でも実際はこっちの作品の方が「有頂天家族」よりも先に書かれており、そういった関係性はないようだ。
(と思ったが、wikiを見ると李白さんらしき人が「有頂天家族」にもチョイ役で出ているらしい。)
だが、同じ世界観のなかで何冊も(まだ2冊だけれども)読んでくると、
積み重ねって力を発揮するよなあ、という感慨を抱く。
1冊1冊に直接関わりはなくても、それぞれが基礎、土台、床、壁、天井板、屋根、という役割を果たし、
一つの建造物が出来上がって行く気がするのね。
別に、作家は1作ごとに作品を上手に完結してくれればいいので、その作家の作品全体を構築物として
制作せよ、とはわたしは求めていない。しかしたまにそういうことをしている人がいてもいいね。
まあ同じことをしても、面白くなければそれは単に抽斗の少なさで終わってしまうんだけど。
マジック・リアリズム書きは大なり小なりそうなっていくのかな。少なくとも池上永一はその傾向はあるな。
でも他のマジック・リアリズム書きを知らないや。
偽電気ブランや赤玉ポートワイン、ダルマの多用もその世界にひたれる要因。
なんだか妙になつかしい。「戻ってきた!」という軽い感激がある。やっぱり上手いんだろうと思う。
偽電気ブランの味について言及しているところは、その花のようなお酒を飲んでみたいと思わせた。
この人が使う、ちょっとした言い回しも好きなんだよね。
擬声語?擬態語?も好きだなあ。時々みかける「ぽてぽて歩く」「むんと胸をはる」とか、
ちょっと独自性のあるものもあるし、普通の擬態語も多用されているんだけど、
その多用がユーモアを醸し出す。レトロな味わい。
この人の作品は今後ツブしていくつもりでいるけど……
発表順に読んでみようかな。その方が味わいが増す気がしてきた。
次第に厚みを増す世界の造成を楽しむ。途中でコケないことを祈る。
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