森茉莉、小堀杏奴、森類と、家族から見た森鴎外についての著作を見てきたが、
最初に結論を言えば、――オトが一番普通で安心。
異母弟妹たちの著作は「パッパはえらい!」「パッパは私をこんなに愛してた!」
という主張が激しすぎて疲れる……。
なんというかこれは、その血の成分が違うとしかいいようのない温度差だ。
いわずもがなのことを言えば、やはりその母の気質、育ちの複雑さ、ということになるんだろうなあ。
ただでさえ先妻の子と後妻の関係なんて難しいものであるのに、
後妻は相当自我がきつい人だったようだ。
“裏表のない”といえば褒め言葉だろうが、人間は社会生活を営む上で、
ある程度の裏表はあった方が平和だろう。本人のそのまんまを出されても……まわりは迷惑。
そういった継母について、そして決して折り合いは良くなかったであろう異母弟妹について、
オトはとても配慮をした書き方をする。
まあこの本は、“父・鴎外”という同じテーマで何度も書いた文章を、文庫本400ページ超の厚さ分
収録したものだから、そのたびに微妙に口吻が違う部分はあるけれども、
本当はもっともっときつく書きたいところだろうになあ、と読みながら思っていた。
異母弟妹たちの書いたものからは、異母兄に対する親しみや配慮はほぼ感じられなかった。
悪口とまではいかずとも、彼我の疎隔をそのまま書いていた。
だがオトの文章には、彼らに対しての温かさを感じられて安心する。
弟妹達が読んだら、もしかして“取り繕った文章”と思うのかもしれない。
兄にはこんなに優しみはなかったと。実際の兄の態度とは違うと。
でもオトの態度がその気持ちまで表していたかというと、多分違うと思うんだな。
おそらくは大人しく、そして他者への働きかけに臆病だったであろうオト。
遠くから家族を見る目に、幾分かの温かさがあったのではないか。
ただしその内心が感じられる範囲に、家族の者はいなかったけれども。
厭悪ももちろん、あっただろうしね。
十歳ちょっとしか離れていない継母ですよ。そして嫁姑の間柄は最悪なわけですよ。
しかもオトは完璧におばあちゃん子なわけですよ。
継母は、オトの実母が戸籍に入ってなかったことを言い、妾よばわりをしたこともある。
(天下に知られた明快なる結婚だったが、入籍する前に離縁になった)
オトが父と話しているだけで継母は嫉妬し機嫌が悪くなる。
……いやもう、こんな継母はイヤだ。
オトの文章が控えめで、常識人であるだけに、肩入れしたくなる。
まあわたしが今更肩入れしても仕方ないんだけど。
それにしても、色々読んで思うのは、
――鴎外は家庭でホント、大変だったよなあ。
それはもう気の毒になるくらい。文豪で、軍医総監なのに、家庭であんなに苦労して。
まあ、悪妻を持つことを哲学者の心得とした人もいたことだし、
円満な家庭を持っていたら文学者にはなれなかったかもしれないけど。
やはり文章は日常のひび割れから生まれる。
ついでに、小金井喜美子の「鴎外の思い出」も読んだ。
作品としてのエッセイということなら、鴎外の関係者関連で、この人の1冊が一番良かったな。
明治女性の口吻が伝わってくる。“ありませんかった””出来ませんかった”などの
今はもう消えた言い方が新鮮。
この人は、章末の一文が毎回不思議なほど余韻があって……。
これまで読んで来た数多の本の中で、これほど余韻を感じて終わるエッセイもそうないと思った。
どんな秘密があるんだろう。
しかしこの人の書いたものでも、やはり鴎外は神さまっぽい。
鴎外のご両親が、自分たちの子とも思えない(ほど素晴らしい)と言っていたことや、
末弟の耳が聞こえなくなったのは鴎外の死による精神的な打撃のせいと診断されたと書いてたり。
言っていたことや診断されたこと自体は事実なんだろうから、
……やはり鴎外は半神半人なんですかね。
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