さらば高島俊男よ!
3年くらいかけて高島俊男の本を20冊ほど読んだ。
図書館の所蔵本を完全にツブしたわけではないが、興味を惹かれるタイトルとしては読み終わったので
終結宣言?を出したい。
……小骨の多いおじいさん、という感じではありましたけどね。
わたしは好きでした。文章に軽妙な味があって。
仙人みたいな。俗っぽさが多分に残っているので、空が飛べるほどではないけど。
多分それなりに知識のある人が読めばもっと得るところは大きかったのだと思われる。
わたしは時々飛ばし読み……まあ、重箱の隅をつつく系の話も多々あったので。
もうちょっと柔らか系だったらもっと楽しかったかな。
そうですね、この人に教えられたことと言えば……
昨今の漢字離れの裏側で、漢字の使い分けに相当うるさくなっているが、
本来は日本固有の言葉を漢字を借りて表現しているだけなので、
「(日本語における)漢字の厳密な使い方」にはさほど意味がないこと。
この人、中国文学者なので漢字についてはそりゃーキビシイ……けれども、
それとは別に上記のことがあるので、えー、そうなの?と驚くんだよなあ。
わたしは漢字の使い分け、けっこう細かいこと言う方だし。
漢字検定のいい加減さ。……これはほんとに目からウロコ。
わたしは漢字検定が資格として何か強みになるという幻想は全く持っていなかったけど、
しかし漢字検定そのものがそこまでいい加減であることには気づかなかった。
漢検一級の問題を(テレビで)見て、「誰が使うんや、こんなもん!」とツッコミを入れたとしても、
そのいい加減さには気付けなかった。忸怩たる思い。
それは多分、自分が人より漢字分野は得意という自負があるから。
得意分野にはそういう落とし穴がある。得意分野だけにそれに価値を無条件に認めてしまっている。
つまりその価値を補強するもの(この場合は漢字検定)の意義に疑問を持たない。
この部分を自覚出来たのは貴重な体験だった。
やはりわたしは戦争中なら、大本営発表を鵜呑みにするタイプかも。
それから、この人は支那という呼称についても言及していて、
「これこれこういう理由だから支那という言葉を禁止するのは間違っている」といったことを
述べた文章があるのだが、……これはねー、高島さん。
どんな理屈があろうと、呼ばれる方が嫌がっている場合は呼ばないのがマナーでしょう、
ということに集約されてしまうと思うんですよ。
わたしも「つまりはChinaじゃないか。Chinaは良くてなんで支那が駄目?」
と思ってはいたが、でも多分、人の綽名と同じことだと思う。
子供の頃太っていて「関取」という綽名だった人が、長じて久しぶりに会った時に
そう呼びかけられて嫌がった場合、やはりその綽名は撤廃してあげるのがオトナでしょう。
「いや、関取には悪い意味全然ないから」と言っても本人が嫌なもんは嫌。
「関取」じゃなくて、例えば「委員長」でも、本人がその綽名と嫌な記憶が分離不可だった場合、
やはり呼ばれたくはないだろう。
……だからといって、過去にそう呼んでいたことに対して過剰に後悔したり、
腫れものに触るような態度を取る必要はないと思うけどね。
うーん。20冊読んで、印象に残ったものがこのくらいでは高島さんはブツブツ言うかなあ。
でもわたしの読み方はかなり雑だし……。雑な読み方をしても印象に残ったものがあれば、
それがそれだと思っているしね。そこらへんはカンベンしてもらおう。
近年、お歳を召して、身体のやっかいごとは色々おありなようだが、
自愛なさってお元気で。
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