吉川弘文館の人物叢書シリーズは、6、70年前に初版発行というものもあるが、
基本的には信頼のブランド。歴史上の人物の概要を知りたい時にはまずこれを読む。
が、今回人物叢書の「高杉晋作」を読んでも、さっぱりわからなかったんですよね。
高杉晋作という、有名なわりにはなんとなくのイメージしかない人を知ることで、
幕末の主役だったはずなのに、具体的に何をして、どんな役割を果たしたのか
いま一つわからない長州藩についてもわかるようになるのではないかと期待していたのだが。
おやおや、これは困った。もう1冊読まなきゃ。ということで本書。
この「ひとをあるく」シリーズは初めて読む。
これは人物叢書と同じ吉川弘文館刊で、しかしカラーはまったく違い、図説系。
いや、図説とまでは言わないか。そこまで図版は多くない。
メインは文章だけれどもページ数も少なければ内容もかなり平易であろう。
そしたらね。前書き8ページ分を読んだところで、さてこそ!と膝を打った。
まず高杉晋作については。――「分からん人」。
事実晋作は「分からん人」だ。一般には「勤王の志士」「討幕の志士」といった
カテゴリィで括られることが多いのだが、明確な「勤王論」「討幕論」を
残しているわけでもない。大衆人気の高さはともかく、真剣に考えれば考えるほど、
評価が難しい人物であると思う。
そうか!そうなのか!そもそもわからん人なのだ!
イメージ先行。もやっとかっこいいイメージを感じていたわたしの感覚は一般的だった。
これを最初から言ってくれたことで、その先を納得して読み進められる。
そして、長州藩についても。
――これ、本当にまとめとして秀逸。だが6ページ分もまるまる引用も出来ないから、
わたしに出来る範囲でまとめます。長いが。
1.長州藩は14代徳川家茂が定めた攘夷の期限である1863年5月10日から、
決められた通りに外国船に砲撃を始めた。
2.だがその裏では井上馨などを密航留学生としてイギリスへ送り込む。
言ってることとやってることの矛盾。
3.長州藩は藩是を「奉勅攘夷」とした。幕府が勝手に締結した条約を破棄して攘夷を行ない、
天皇を安心させた上で主体的な開国を行なうという意味。
これ、意味わかりますか?わたしはサッパリわかりませんよ!
この「奉勅攘夷」の指導者である周布正之助の揮毫で
「攘は排なり、排は開なり、攘夷しかして後(のち)国を開くべし」が残ってるらしい。
――いや、変でしょ!変ですよ!
「攘は排なり」はいい。攘=払いのける、排=押しのける、外に出す、だから。
だが「排は開なり」は明確におかしい。論理に飛躍がある。
……これは「外国に強要された開国はメンツにかかわるからイヤだ」ってこと?
一度コテンパンにやっつけてからじゃないと国を開かへんで!ってこと?
それはねー。大人とコドモくらい力に差があれば実現するかもしれないが、
その頃の日本の国力じゃ無理なのよー。
国と国の間でメンツにこだわってもいいことないのよー。
外交はどんなことがあっても実を取ったものの勝ち。……ま、外交の「が」の字も
まだ知らない日本人には無理かもしれないけど。
4.しかし長州藩の熱誠の対象である当の孝明天皇が、実は大の長州嫌い。
(これはネットを浚うと「下級公家が孝明天皇の勅を偽造し、それを長州が後押しして
いたから」と出て来るのですが、どうなんでしょうね?)
5.天皇の感情を知った薩摩・会津が長州排除に動く。
6.追い出された長州は1864年薩摩・会津を相手に禁門の変を起こす。負ける。
7.天皇から朝敵とされる。藩主親子の官位を取り上げられる。長州征伐の勅。
8.泣きっ面に蜂、このタイミングで四カ国(英・仏・蘭・米)連合艦隊による下関砲撃。
9.下関戦争の敗戦で攘夷の不可能を知り、攘夷という考えを放棄。英国と接近。
下関戦争もヤヤコシイ。主に呼び名が。
1863年と1864年に長州藩と四カ国の武力衝突があるんだって。
この2回を合わせて「下関戦争」と呼ぶらしい。また「馬関戦争」とも呼ぶ。
1863年を下関事件。
1864年を馬関戦争、四国艦隊下関砲撃事件、下関戦争。
という別名もある。これはねえ、二度を指して馬関戦争、1864年だけでも馬関戦争。
下関事件と下関戦争の使い分けなんて出来ませんよ。
10.長州征伐の勅に対する長州内の意見は二つに割れる。
一つは正義派。防備を固め、戦って名を残そうする人々。高杉晋作はこちら。
もう一つは俗論派。朝廷(≒幕府)に絶対恭順。
ちなみに長州内では天皇の勅ではなく幕府が勝手にやっていることだと思っている。
11.藩主は俗論派を選ぶ。そのため、攻めて来た征長軍はなし崩し的に兵を収める。
12.だが高杉晋作が馬関で挙兵しクーデターを起こす。
そこで一気に正義派が優勢になる。
俗論派は粛清される。その後、俗論派の史料は徹底的に消され、
現在でも「幕府に膝を屈した売国奴」と思われているらしい。
13.正義派は実権を握ったあと、外国から軍艦や武器を買いまくる。
これは「武備恭順」というモットーによるもの。十分戦える備えをした上で
恭順の姿勢をしめそうというもの。
……だがしかし武装をしまくっている長州を見て、朝廷や幕府が「恭順を示そうと
しているんだな」と思うわけないのよねえ。まあ恭順は方便だと思う。
結局「攻めてきたら反撃するぞ」とファイティングポーズを取っているわけで。
14.一度目の征討の不戦の後に軍備を続ける長州を危険視した征長軍は、
今度こそコテンパンにやっちゃおうと、二度目の征戦を、今度は幕府が中心に
なって動き始める。
ここで引用すると、
以後「朝敵」の烙印を除いて復権することが、長州藩の大きな課題となってゆく。
慶応二年(1866)1月に締結されたいわゆる「薩長同盟」も、その路線に沿った
内容である。「正義」はあくまでも長州藩にあり、誤解した天皇が「冤罪」を
被せて来たと主張するのだ。
……えーと。これは何しろこの本の最初の8ページ分のサマリー部分なので、
そもそも詳細な内容ではなく、なるべく簡単にまとめたもの。
だから「薩長同盟がどの路線?」という疑問もあるし、「その正義はどこから、
どの時点で見た正義?」といいたくもなる。が、今はまだその時間じゃない。
「薩長同盟」もよく考えると、なんだかワケワカランのよねえ。
15.晋作は武力で勝てば長州の復権は成ると考えていた。
幕府との手切れを視野に入れた上で、むしろ開戦を望んでいる。
外国もひと昔前は内戦を多々行っているとし、内戦を経なければ日本は
出来上がらないと。また幕府に対して勝てば、政治的立場も有利になると。
16.1866、第二次長州征伐。ちなみに長州側では「長州征伐」という言葉は使わず、
「四境戦争」というそうだ。そりゃ征伐というのはやだよねえ。
国境4カ所を包囲されて攻め込まれたが、長州は善戦する。
そのうちモチベーションの低い征長軍は、14代家茂が死んだことを奇禍として撤退。
休戦協約。
17.そして孝明天皇崩御。この後、明治天皇を取り込むのが幕府なのか、薩長なのか。
そしてそんななか、天皇から遅れること4カ月ほどで高杉晋作、病死。
……その後は受験知識の流れ。薩長が組んで討幕へと進み、大政奉還で鳥羽伏見の戦い。
その後江戸城無血開城、幕府は倒れ、戊辰戦争。
まあ鳥羽伏見からを戊辰戦争というらしいが。
「晋作があと1、2年生きて一連の政権交代劇に関与していたら、この人物の評価は
もっと鮮明になっていたかも知れない」と著者は書いている。
その若い死のために人々は未完の高杉晋作にロマンを感じがちなのかもと。
実績に対して人気が高いのもそういうところなのだろうと。
伊藤博文、井上馨は「なに高杉ごときもの、今日にあっては言ふに足らず」と
後に言っていたらしい。この2人は後輩的立場にあるはずです。
やっぱりイメージ先行で人気があったことが業腹だったのだろう。
わたしが思うに、高杉晋作の残っている写真、ざんぎり頭なのが効果的なのよね。
それを見ると開明的なイメージが残る。奇兵隊も、実情は特に四民平等でもなく、
高杉晋作自体は自分の身分(大組≒高位の武士)に誇りとこだわりをもった人だったらしい。
「奇兵隊」もネーミングが成功している例だとも思う。
長州にはこの類の「隊」がたくさんあって100以上だったとか。
今見るとそんなにかっこよくない隊の名前も散見されるし、
「奇兵隊」の字面が良かったのかも。
以上の内容は、この本の前書きに当たるサマリーをわたしなりにまとめてみたもので、
著者がいいたいこととは違う可能性もあります。ご承知おきください。
また、わたしは長州についてたくさん読んだわけではないので、この著者の考えが
妥当なのかどうかを判断する基準も持ってない旨もご承知おきください。
この、自分がまとめた内容を見て感じることは……長州って相当武張っていたんだね。
わたしはそれを、関ケ原敗戦から続く江戸幕府への恨みだと思っていた。
が、正月の儀式で「今年は江戸征伐はいかがなさいますか」「今年は止めておこう」
みたいな会話も、江戸前期くらいに行われていたことで、後期にはなくなっていると知った。
全然影響が消えたわけではないだろうけどね。
長州が武張った理由は、うーん、対外的な最前線という意識なのかなあ。
ここまで戦いに前のめりだったのはなぜなのか。
地図で見ると、下関と江戸よりはるかに韓国が近いし、上海もぎりぎり近い。
長崎と下関って近いとは思わないが、遠来の異国船にとっては誤差の範囲かも。
平安時代の大宰府から対外施設は福岡のイメージだけれど、この頃の福岡藩は
そんなに海外との関係はないっぽい。
高杉晋作の歴史的な行動は「第一次長州征伐」の後に武力蜂起したことが一番だね。
一番というか、ほぼ唯一かも。
もちろん本文も読んだが、やってることがわりとめちゃくちゃなのよね。
長州藩のお金で巨額の軍艦一隻を一存で買ってしまうとか。(実現せず)
10年間、藩からお暇をいただこうとしてしまうとか。(なお3ヶ月で復帰)
脱藩もするし、1500両使い込むし。……それでそのたびに許されちゃうのが謎。
江戸に行き、上海に行き、京都に行き、長崎に行き、小倉に行き、
萩と山口と下関を永遠に行ったり来たりする。少し落ち着け!といいたくなるけど、
とにかく移動の人生。波乱万丈。
なぜかはわからないけれど、藩主には可愛がられていたようだ……
坂本龍馬ほどに人たらしとは言われてないけど、やはり人たらし的なところが
あったのだろうか。もちろん小姓として藩主親子に仕えたんだから親しみはあるよね。
この本のおかげで、「分からん人」の高杉晋作のアウトラインはつかめたと思う。
長州の分からん動きも多少はつかめたと思う。
この知識を武器としてわたしは今後の人生をのりきっていこうと思います。
他に「長州の戦志向」も「薩長同盟とはなんだったのか」とか
掘りたいところはあちこち見つかるんだけど、そもそもわたしは歴史は
江戸時代中期まででいいのよ。歴史のロマンを味わいたいだけなんだから。
幕末~明治維新の辺りはロマンというより痛ましさが先に立つしね。
現実の痛みが肌に迫る。

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