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◇ イザベル・アジェンデ「エバ・ルーナ」

先に「エバ・ルーナのお話」を読んじゃったのよねえ。
「エバ・ルーナ」と「エバ・ルーナのお話」を同じものだと思って。
訳の違いだと思ったもんだから。
だが順番としては「エバ・ルーナ」を先に読むべきだったよ。「お話」の方はあとで。
逆に読んでも別に壊滅的な終わりを迎えるわけではないが、「お話」は
「エバ・ルーナ」を読んでないと単に普通の短編集ですからね。

それはともかく「エバ・ルーナ」。面白かったですよ。
イザベル・アジェンデは現存海外作家としては珍しく好きだと思う。
多分マジック・リアリズムが好きなんだな、きっと。
他の人はよく知らんが。

話は、一人称の語り手の主人公、エバ・ルーナの半生記。
まあそんなにストーリー的にこれというほどのものは……というか、
ストーリーで読ませるジャンルじゃないんだよな。
なんというかねー、風光明媚なルートを景色を楽しむトレッキングじゃなくて、
アマゾンのジャングルを手探りで進んでいくのが楽しい、という方向性。
どこを歩いてるのか、どこへ出るのかわからないところが楽しい。
しかし周りの見晴らしは良くないので、そういうのを求めている人には向かない。

暑っ苦しい熱帯雨林の空気感を楽しむ。……という例えは、今回の表紙の
ルソー「夢」の影響を受けすぎかもしれません。

でもさー。読み終わってから思うに、ロルフ・カルレがさー。
あ、でもこれネタバレか。

 

す。

 

エバ・ルーナのパートと、ロルフ・カルレのパートという風に分けられてるわりには、
ロルフの存在感ってあんまりないよね?この程度で終わるなら、別に幼少期から
追っていく必要なくない?

むしろロルフの存在を失くして、ナランホとの関係性を深めた方が納得出来たなあ。
あるいはリアド・アラビーの元に帰っていくというならその方が納得出来た。
エバとロルフの関係が十分に描けているとはとても言えないし、
ロルフの少年期から書いていく意味がわからないよ。

ロルフは単に、ジャーナリストって職業を、その上司の何とかさんと、
政治家・独裁者とを関わらせるってだけですよね。まあそれは言い過ぎかもしれないが、
エバと出会ってこれしか書かれなくて、運命の相手って気はしないのよねー。

で、物語の締めもなあ。なんでこう終わる?
密林の例えでいうなら、密林の濃密な緑の中を全身全霊でもがいて抜け出して、
抜け出したところが、……えー、どことも知れない地方都市のさびれた駅前、とか。
は?ここ?的な拍子抜け。

と、くさしたが、この小説の真髄は濃密なジャングルの緑を目に焼き付けることなので、
まあ最終盤の納得の出来なさはそんな大したことではない。

この作者は、この本の主人公の通り、「物語る」人なんだろうなあ。
物語が降りて来るタイプの人。東野圭吾の対局。
大量に書くタイプではないだろうけど、すでに10作くらいは書いてるようだよね。
わたしも今後ツブしていくいく。翻訳を順次待ちつつ。

 

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