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◇ 谷崎潤一郎「陰翳礼賛・文章読本」

ずっと昔、「陰翳礼賛」は読んだことがある気がする。
が、内容はまったく覚えていない。
今回の感想は、「でもわたしはどこでも本が読める程度の明るい照明が好きだ」ということ。
おうちに間接照明が欲しいと思う人の気がしれない(失礼)もんね。
なので、陰を愛する谷崎潤一郎とは対極に位置する。

まあ陰翳という意味でわたしが納得できるのは、屏風や障壁画を見る時くらいかな。
たしかに昔の暗い照明で見た時の方が、金箔や金泥の味わいは増えそう。
それは見てみたいとよく思う。だがそんなチャンスなんてないわけじゃないですか。
だいたい見る時は美術館の展示ケースのなかで、なんだし、
そうなると暗めとはいえ照明が当てられてるしね。

でもこの本の目当ては「文章読本」でした。文章読本シリーズ、川端康成に続いて2作目。
で、読んだ感想は。

うーん、読んでいて面白いところは多々あったけど、読み終わってみると、
あとに残る「これぞ!」というプリンシパルがなかった。
唯一残るとしたら……「はっきり書くな」かなあ?
おぼめかして、余韻を大事にするのが良い文章。……というのは、一般的な良い文章とは
真逆に位置することかと思うが、谷崎ならまあそうなるのかもね。

これは要約しにくい内容だと思います。そもそもわたしは要約が苦手だ。
だが、谷崎が大事だと思うところは太字にしてくれていて、
ああ、ここを読めばいいんだなと思って読んでも、……これってそこまで大事な部分?
という疑問が抜けない。まあまあたくさんの箇所を太字にしてますからね。

任意の2ページ中、こんな感じ。

「文章の味と云うものは、芸の味、食物の味などと同じ」

「感覚と云うものは、生れつき鋭い人と鈍い人とがある」

「心がけと修養次第で、生れつき鈍い感覚をも鋭く研くことが出来る」

「出来るだけ多くのものを、繰り返して読む」

「実際に自分で作ってみる」

これらの行の間にいろいろ書いているんだから、太字部分だけを抜き書きしても
正確な意味は表さないと思うけれども、……なんか、そこまで重要?と思う。

なにより、わたしは「太字で強調する文章は文学的ではない」と思っているので、
よりによって谷崎がそんなことをするのは驚きだった。

まあそれはそれとして、内容は外国語と比較したり、源氏物語を引用したりして
興味深かったですよ。自分が文章を書く時の即効性のあるパッチにはならんけれども。

ちなみに、よりわかりやすい文章上達法を目次から拾えば、
「文法に囚われないこと」「感覚を磨くこと」
だそうです。うーん。これだけ見てもよくわからんが……
まあでも別に文豪の文章読本に即効性だけを求めているわけでもなく、
読んでいて面白かったことは面白かったので、結論としては読んで損にはならない。

ただ、川端の方が納得感はあったなあ。

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