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◇ 池澤夏樹個人編集世界文学全集Ⅲー02 カプシチンスキ「黒檀」

最初は小説だと思って読み始めたが、実はルポでした。紀行文という側面もあるけど、
よりルポでしょうね。
こういうジャンルは自分では絶対に手に取らないので、全集を読んでいる功徳、
と思いながら読み進めた。

――が、わりと最初の方でつまづく。
まえがきで「公式のルートは避け通したし、宮殿とか、重要人物とか、
政治の大舞台なるものは、極力敬遠した」と書いてあり、なるほどと思ったのだが、
14ページではもうガーナの教育情報相、コフィ・バアコと会っているのよね。

この人は重要人物では?――と思うと、もういけません。
「極力敬遠した」と書いてなければ全然気にならなかったはずの内容がひっかかる。
その後も何人かのお偉方には会っているようだしね。

それでも3分の1くらいまではそこまで疑問は持たなかった。
書き手の身分というか、職業が「ジャーナリスト」だと知る前は。
ジャーナリストにはね、……偏見があるのよねー。

ジャーナリストは基本的に「現在を見て文を書き、それを売って生計にする人」。
それを高精度で実現するには、現在を見る洞察力とともに現在の基盤である過去――
風土と文化を知る必要がある。
そして過去を高精度で知るためには、ものすごい蓄積が必要だと思うのだが、
ジャーナリストのあり方として、一つ所をじっくりと何年もかけて取材はしないだろうと思う。
なぜなら数をこなさないと生活が立たないから。そして同じ場所で地味な記事を書いても
その記事は売れないから。

このカプシチンスキという人はまえがきで、40年間の仕事のうちとびとびに8年
アフリカに滞在したと語っている。
8年は、一般的に考えればたしかに長い。しかしどのくらいのスパンのとびとびなのか。
その土地を深く知るためには、本当の意味で知るためには10年くらいかかるだろう。
半年程度ではその土地の表面を撫でることしか出来ないだろう。

そしてアフリカ大陸は広いのだ。国の単位で考えても10や20ではない。
その中に複数の部族があって、文化も気質も違う。とびとびに滞在するカプシチンスキは
一体いくつの言語に精通出来たのか。たとえアフリカの言語を日常会話程度なら
5種類覚えられたとしても、深い話、抽象的な話、独自な文化の話や考え方は
日常会話程度の言語力では高精度には伝わらない。

このことについて個人的な経験がある。二十年ほど前、イギリスから地元へ観光に来た友人を
観光名所である江戸時代初期の藩主の墓に案内した。安土桃山様式の豪華なお堂に眠る骨。
立札には殉死した家臣がいたことが書いてあった。
それをつたない英語で説明し、ま、いわゆるハラキリだね。と締める。
「Oh」と彼女は言った。「Terrible.So Sorry」と。

それを聞いた瞬間、頭がガンと殴られたような気がした。
カルチャーショック。

心底、亡君に忠義を尽くして死出の旅の供をしようと思った人々。
殉死をするだろうと周囲からプレッシャーをかけられ、嫌々ながら死んでいった人々。
殉死した人の家族にかけられただろう「立派なご最期だった」という声。
それを聞いて家族は何を思ったのか。
愚かであり、哀れであり、ほんのり輝く後世の我々からの目。
「武士道」という言葉の魔術。

フラッシュバックのように、説明したいことがさまざまに浮かんだ。
殉死にはいろいろな立場や思惑が含まれている。歴史的にも心情は移り変わっていったはず。
――しかし単なる観光客として来た友人には絶対に理解出来ない。
理解するためには膨大なインプットが要る。

それを説明するのは、難しくもあり不必要なこととも思える。
これが研究者などであるのなら別、ただの観光客に対して20分も30分もかけて
「殉死」に対する日本人の歴史的な背景、心情などを事細かに説明しようとは思わない。
その能力もない。

だがそういった情報を欠いた「殉死」は、「殉死」の内容としてあまりにも薄く、
TerribleでSo Sorryな出来事でしかない。
――こういうことは、ひたすら果てしなく、アフリカの諸民とカプシチンスキの間でも
起こっていたと思うのだ。

時間をかければその部分が多少なりとも改善された可能性はある。
しかしカプシチンスキは世界を股にかけた――それを誇るタイプの
ジャーナリストだったと思われる。実際世界のあらゆるところへ行っているらしい。
訳者の一人によるあとがきでは、訪れた国は100を超えるとある。

50年の活動期間、講演で訪れた国もあるらしいから、実働が数年はマイナスされるとして
まあ45年で100国以上となれば1年3カ国。……と単純に計算は出来ないとしても、
たまには自宅にも戻っただろうし、「じっくり」という言葉とは縁がなかっただろう。

まえがきでカプシチンスキは次のように語る。

   かくて、これはアフリカに関する書物ではなく、何人かのあちらの人々、
   そこで出遭い、共に時間を過ごした人たちを語る著作である。あの大陸は、
   描き出そうにも、あまりに大きい。あれこそは、真の大洋、別個の惑星、多種多様で、
   かつ優れて豊かな調和世界(コスモス)だ。アフリカ――とわれわれは呼び慣わす。
   だが、それは甚だしい単純化であり、便宜上の呼び名にすぎない。現実に即するなら、
   地理学上の呼称はそれとしても、アフリカは存在しないのである。

まえがきは短く、全部で12行。上記の引用は5行に当たる。後半の5行。

そうだろう。あんなに広いアフリカを「アフリカ」とだけ思うべきではない。
たしかに最大の大陸はユーラシア大陸で、アフリカ大陸はそのおよそ半分でしかないが、
ユーラシア大陸の半分を一つのかたまりとしてとらえることの乱暴さを考えれば、
まえがきでカプシチンスキが言っていることは、まさにその通り!

……なのだが、この「黒檀」で、それほど個々を大切に扱ってくれてる気がしない。
全体は冷静で公正な書きぶり。文章の上手さは感じるし、アフリカの風景に対しては
美しさを感じさせてくれる――詩情、文学性がある。
だが、アフリカの人々にもう少し美点を探して欲しかった。共感が欲しかった。

訪れた場所はのべ21カ所。ここを何年かけての文章かはわからないが、
唯一印象に残った個人がマダム・デュフだけというのが不満というか、納得しにくい。
まあ解説によれば、彼女は数十年をかけて変化した「アフリカ」の象徴だそうだから、
一人カラフルに表現されているのは必然なのかもしれない。

基本的には「アフリカの現在」(ただし数十年前)のルポなので、政治状況の分量も多い。
――だが政治状況の部分は外側から書けないものでもなかった気がする。
現地に行ったからこそ書けるという部分が比較的少ない印象。全部とは言わないが。

文学性のある文章は楽しめたけれども……全体的には結局疑問を感じつつ読んだ。

ああ、それから。
ここはひどいと思った、という部分があって。忘れもしない267ページ。

   
   つまり、ヨーロッパの文化が他の文化と違うところは、批判能力、なかでも
   自己を批判的に見る能力がある点だという話である。分析し掘り下げる技術、
   普段の探求心、安住しない姿勢。ヨーロッパの思考は、自身に限界があることを認め、
   自身の欠陥を否定しない。懐疑的で、安易に信じず、疑問符を付ける。

   概して、他の文化にはこの批判精神はない。
   それどころか、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える
   傾向がある。つまり自己に対して無批判なのである。

   あらゆる悪いことは、自分たち以外のもの、他の勢力(陰謀、外国の手先、
   さまざまな形での外国による支配)のせいにする。自分たちへの苦言はすべて、
   悪意ある攻撃や偏見や人種差別だと見なす。
   
   こうした文化の代表者たちは、批判されると、それを個人への侮辱であり
   愚弄でありいたぶりでさえあるとして、憤激する。
   彼らに向かって町が汚いと言えば、彼らはまるで自分たちが不潔な人間と
   言われたかのように、耳や首や爪が汚れていると言われたかのように、受け取るのだ。

   自己を批判的に見る精神の代わりに、悪意、歪んだコンプレックス、妬みや苛立ち、
   不平不満や被害妄想でいっぱいだ。結果、彼らは、恒常的・構造的な文化上の
   特性として、進歩する能力に欠け、自らの内に変化と発展への意志を
   創り出す力を持たない。

(注・読みにくかったので適宜、行を分けました。原文は改行なし)

これはエチオピア長期在住のイギリス人男性とカプシチンスキが話し合った内容だという。
(ちなみにカプシチンスキはポーランド人)
この「ヨーロッパ文化は素晴らしく、その他の文化は~」という文章は、
それだけで、筆者に対する信頼を失わせるものだった。

それは(常にわれわれが直面している)西欧世界の傲慢ではないのか。

公平にいえば、この部分以外はそこまでアフリカ世界に対する偏見は感じない。
というか、積極的に美点を見つけようとしない姿勢は気になるけれども、
まあ政治的アフリカであればこうなるのか……と、テーマに疎いわたしはそう思う。
民俗的アフリカは非常に豊かだろうけど。この人が書くのはそこではないしね。

とはいえ、アフリカの人が「黒檀」を読んで、どんなことを思うか、
それは聞いてみたいと思う。

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