渡辺崋山についてほとんど知らないので関連図書を何冊か読んでいるのだが、
外国人が書いたものだと思うと、少々腰が引けますね。
自分の知識がないから内容の正誤の判断が出来ないんだもの。
恐る恐る読んだ。
まず最初に、気になったことを。
読み直しをして正確な言い回しを探すことは面倒なのでしないけれども、
(だから精度的にはあやしいけれども)
「歌舞伎はキリスト教の寸劇から来ている」と書いてあるのは正直引いた。
誰だったかの(外国人の)論文でそういうのがあったらしい。
いや、そんなことを言われても。
歌舞伎といえば出雲のお肉……もとい、阿国というのは受験知識的に条件反射だし、
(ところで、この漢字でなぜ「おくに」と読むかね?)
どう考えても猿楽及び能の下地があった上での歌舞伎だろう。
こういう不用意なことはあまり言わない方がいいと思った。
自分の影響力を認識して欲しい。
まあわたしも該当の論文などを全く読まないで否定しているのは不誠実だが、
日本人としては頭から否定したくなる条項である。
わたしは以前より、踊りから演劇になる流れには若干疑問を感じていて。
それはたしかに現在でも歌舞伎の演目として踊りは主要な一つだが、
劇としての流れは能からの影響の方が強い気がしている。
「俊寛」とか、共通する演目もいくつかあるわけだし。
意外に能との関りはあまり言及されないよね。
もう一つ、日本人は中国の歴史は絵画にするが、日本の歴史は全く描く価値がないと
思っていた、とあったこと。
これはまあ言い回しというか、とらえ方の若干の齟齬の範囲だと思うが、
わたしとしては描く価値がないのではなく、絵画は風流なもの、美しいものを
描くものであって、日本の歴史は風流の範囲にはなかったと思われていたのだと思う。
それに対して中国の故事は故事成語など、より文学的なイメージと結びついて
風流の範囲だったのではないかと。
まあ歴史画としては応天門の変を描いた伴大納言絵詞とか、平治物語絵巻とか、
後三年合戦絵詞なんかもあるわけだしね。
なんかもう一つ小さめのものがひっかかった気はするが忘れてしまった。
以上、二点が気になったところ。
ちなみに読み直して確認はしていないので、わたしが間違って読んでいる可能性はある。
それ以外のところはおおむね納得しながら読んでいた。
この本は約300ページのまあまあみっちりした内容で、渡辺崋山の評伝としては
かなり主要なものの一つだと思う。
ドナルド・キーンは、晩年には崋山の地元である田原市博物館の名誉館長に就任している。
特筆すべきは、彼の政治的な人生とともに、芸術家の部分にも多くを割いているところですね。
歴史学者は主に政治的な面を見る。美術研究家は画家としての渡辺崋山を書く。
ドナルド・キーンはどちらも詳しく書いている。それはアドバンテージだと思いますね。
まあわたしは渡辺崋山の絵がすごく好きというわけではないが。
きれいな絵が好きだから。
あと、前藩主の異母弟で、経済的な(理不尽な)事情から藩主になれずに隠居させられた
三宅友信との関係もこの本で知れて良かった。
この人はこの人で失意の人だが、崋山が励まし、蘭学という愉しみへと導き、
その後息子が藩主の地位についたことによって、まあ不遇の一端は報われた形になっている。
これがあっただけでも、崋山は主を救ったと言えるのではないか。
のちに友信は崋山の略伝を書く。それを読んで後世の我々が崋山を知る。
細く細く続いていくもの。
全て貧乏が悪い。……というのは簡単だが、まずはそれしか言えないよねえ。
田原藩は貧乏だった。何しろ土地も狭ければ交通の要衝というわけでもなく、
海には恵まれた土地柄だっただろうけど、加工技術や冷蔵技術がない時代は、
せっかくの海の幸も運べないし、保存が出来ないから恒常的な資源にはならなかっただろう。
コメント