宮崎市定は蔵書数冊。若い頃に買った。
そういう意味で信頼感はあったけれども、こんなに面白いとは意外だった。
そもそも雍正帝が面白いんだよね。笑えるという意味でも。
この人は名君とされる康熙帝と乾隆帝の間の帝王として地味だけれども、
けっこうな名君らしい。まあわたしは康熙帝と乾隆帝のこともよく知らないわけだが。
雍正帝の独自性は、とにかく勤勉であったこと。
特筆すべきは、地方官僚のけっこうな範囲にわたって自分との交換日記を命じたこと。
交換日記は言い過ぎか。私的な報告書を日常的に出すように命じ、
その報告書を雍正帝自らが読んで、朱筆を書いて返す。
しかも報告書は皇帝親展で、基本的に全部自分で処理したっていうんだから。
その人数は失念したけど、地方官の序列の第3段階くらいまで及んでいた気がするから、
200人くらい?もっと?
まあ当時は飛脚で文書を運んだだろうから、遠近の違いはあっただろうし、
何日毎に送れとは書いてなかった気がするが、さぼっていると催促が来るくらいは
急かされたらしい。
かといって大したことを書いてないと朱筆で叱られ、
書式を重んじて書くと「私文書だから無駄に形式に則るな」と言われ、
美辞麗句を使うと「そんなの要らん」と叱られ、
もう官僚たちは大変だったと思いますよ。
反面、良い提言をする官僚は褒めてやり、素晴らしい報告書には感激し、
――なんかこういうところ、可愛いですよね。
プロイセンのフリードリヒ大王のお父さん(フリードリヒ・ヴィルヘルム1世)を
思い出すなあ。彼ら二人は奇しくもほぼ同年代。
統治者としての姿勢がそこまで似ていたわけじゃないけど、
勤勉すぎて部下に対する厳しさがユーモラスに見えるところが似てる。
宮崎市定がそういう風に書いてくれたから、雍正帝に親しみを持てる。
宮崎市定をある程度つぶそうかな。全集を読むほどではないが。
面白そうなのを選んで読もう。日本古代史についてもちょこっと書いているようだし。
8年後くらいに。
――解説を砺波護が書いているのに「ああ」と思った。
端的にいうなら「エモい」という状態ですな。
砺波護は文章が好きだったのよ。血の通った、人柄が感じられる文章で。
そうか。ここは師弟関係か。脈々と続く学問の系譜。
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