オルハン・パムクは3作目。
「わたしの名は紅」
「雪」
を読んで、まあまあ面白いことは面白いのだが、隔靴掻痒の感がつきまとう。
この隔靴掻痒感は、
わたしと著者の異質
普段読みなれてないトルコの作家
翻訳の座りの悪さ
どれなんだろうなーと思った。
なので、前二者とは違う訳者で読んでみた。
……少なくとも翻訳が原因ではないことはわかった。
翻訳が変わっても、どうもなんというか、読んですっきりしない。
まあエンタメ的な面白さは期待しないにしても、もう少し面白くなりそうな気が。
この話は、そっくりな外見である「師」と「わたし」が、
研究生活、宮廷生活、彼我の内面生活の渦のなかで、
自我が翻弄される様を描いたものでしょ?
それならそれだけで良かったんじゃないかなあと思った。
対比として、トルコ人の「師」と拿捕されて奴隷となったヴェネツィア人「わたし」の
東西を持ってきているけど、「わたし」が全然ヴェネツィア人に感じられない。
それが感じられなければ東西を持ってくる意味がないのではなかろうか。
けっこう内面も似てる――というか、自分が彼か、彼が自分かという混乱を
描いてるんだと思うんだけど。その混乱を描くのなら、ヴェネツィア人に見えない
ヴェネツィア人を持って来ない方が良かった。
ヴェネツィア人を持ってくるなら、やっぱり東と西の対立・対比を書かないと。
穴倉に入ったような2つの自我の絡まり具合。
それはそれでいいんだけど、話の動かなさが多少退屈。
前二作はそれでも、それぞれトルコの細密画家、近代化しようとするトルコの状況、
という味つけの部分が美味しかったので、旨味も多かったのだが、
本作はそういう旨味も少なく。
面白くないわけじゃないけど、なんだかなーという部分が捨てられない。
オルハン・パムクはとりあえず次にイスタンブールについてのエッセイを読んで、
それで打ち止めにするかどうか。
どうせあと3、4冊なので読んじゃおうかとも思うが。
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