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◇アルベルト・マングェル「図書館 愛書家の楽園」

だいたいこういうタイトルの本は大読書家が書くもので、
大読書家といえば博識で、博識がゆえに語ることの大部分はわたしの知らないこと、
つまりつまらない、と相場が決まっているのだが、この本は愉しく読めました。

抽象に流れ過ぎることなく。
現実から離れすぎてついていけなくなる前に、ちゃんと戻って来て再び手を取り、
また親切に連れて行ってくれる。
著者のホスピタリティを感じつつ読む。

知らない固有名詞はたくさんあったが、それでおいてきぼりになることはなかった。
わたしはなんでかこの人、ドイツ人だと思い込んでいて、
やっぱりドイツと縁が薄い……と思っていたんだよね。
ドイツ文化圏での知識教養から遠い。
そしたらアルゼンチンの人でした。アルゼンチンなんてドイツよりもさらに遠い。

アルゼンチンの読書家は、本をどのように読むのだろうか。
まあどのように読むのかという答えがこの本なのだが。

流れ的にはヨーロッパの系譜を継いでいるんだろう。
しかしその土地地元の古典はないに等しい。
わたしにとっての西洋古典は隣の庭の本。
自分の庭には日本古典があって、隣の庭の本も時々借りてくる。

よく考えるのだが、入植者の子孫たちの意識はどういうものなんだろうなあ。
地霊たちと断絶していると感じることはないだろうか。
地霊たちという考え方がそもそもないものか。

本は世界共通の宝物で、それはそれでいいとして、
しかし作品は風土からも決定的に影響を受ける。
その風土を知らない気後れはないのかな。

日本古典が軒並みなくて、中国文学がもっとも身近な作品たちとなったら
さびしい気がする。
それとも、最初からないものは無くて当たり前だから気にならないだろうか。

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