これは「タイトルで損をしている。読書好きなら必ず読まなくてはならない本」
という書評を見て読んでみたんです。
うん、まあまあまあ……といった感じ。
ただ、根本的には不満がある。
これねー、ところどころかなり示唆に富んだ内容ではあるんだよね。
読み終わったからもうほとんど忘れたが。
しかしどうも隔靴掻痒の感がつきまとう。
「読書は脳をどのように変えるのか?」という副題で、
そこのところを書いて欲しいんだけど、わたしが読んだ限りにおいては、
・読書は脳をどう変えるのか?
・脳の理科的な説明
・ディスレクシア(読字障害)の説明
この3本くらいに内容が分裂している感じ。
まあ関連している内容だから、絶対書くなってわけじゃないけど、
わたしは「読書は脳をどう変えるのか」という内容を読みたいのであって、
読字障害にはそれほど興味はない。
が、ディスレクシアの話がメインになっているからなー。
だからといってディスレクシアについて一から十まで段階を踏んで
書かれているわけでもなく。中途半端。
もし読字障害について読みたい一般人がこの本を読んだとしたら
10の内容のうち1~3くらいまでの範囲しかカバーしてないことが不満だろう。
読字障害のことはまた別にたっぷり1冊書いていただくことにして、
この本では副題の内容で書いてくれると良かったんじゃないでしょうか。
また、こういう言語の本は出来れば日本語の著者で読みたいなと思ったね。
例に挙げる単語が当然のことながら英語なので、
全然わからないとはいわんけれども、納得度が浅い。ツーカーではない。
訳もなあ……。
訳が「悪い」とは言わない。
が、理科的な内容って、単語の羅列になりがち。直訳スタイル。
こういうスタイルは、よく読めば意味がわからないというほどじゃないけど、
意味が頭に入って来にくい。
一文が三行にもなってしまう文章は、やはり見直した方がいいと思いますよ。
翻訳において、文章を分割するのを恐れるべきではないと思うんだよなあ。
それこそ日本語と英語なんて文章の構造がまるっきり違うんだし……
英語をかろうじて日本語として意味が通じる文章にすることが翻訳なのではなくて、
読んでなだらかな文章にすることが翻訳なのだと思うのだが。
という内容を踏まえて、わたしが読んで面白かったのは
2章「古代の文字はどのように脳を変えたのか?」
3章「アルファベットの誕生とソクラテスの主張」
でした。ここは示唆に富んでいた。
ちなみにこのタイトルで、わたしは絶対新書だと思っていた。
なお、プルーストについてもイカについても、言及されている部分は極少量です。
イカなんかせいぜい十数行じゃなイカ……。あ、すまん。
※※※※※※※※※※※※
わたしは、文字を天の贈り物だと思って生きて来た。
心のうちを話すことは出来なくても、書くことは出来る。
話すことは相手がいなくては出来ないことで、とても不自由だが、
書くことはたとえ千年先であろうと知己を待つことが出来る。
そう思って来た。
――が、この本を読んで愕然とした。
文字は外付けHDと似ている部分がある。
昨今のインターネット上の情報の氾濫は、わたしたちから記憶力を奪った。
それは日々実感していること。
知らないこと、思い出せないことは検索すれば一発。
そんな環境下において、言葉の意味を覚えている必要などない。
無限に情報が覚えられない以上、検索に頼れるものは頼る。
忘れてしまった映画の名前。俳優の名前。1600年に何が起こったか。
検索するのに記憶も技能も思考も要らない。
目の前のキーボードを打つだけで答えは容易に得られる。
容易に得られた答えはすぐ忘れる。
これは現代ならではの問題点だと思って来た。
わたしたちはすでに記憶の脳の多くをパソコンに頼っている。
しかし「文字」もまた――外部にあるものという観点からいえば、
自分の外部にあるものであったのだ。
この視点はなかった。
文字は、――それによって記憶も強化できるし、思考も深めることが出来るし、
再現性もあるし、時間と空間を越えることも出来るけれども、
記憶という意味で考えた場合、記録をすれば忘れてもいいという意味において、
ある意味現代のパソコンであった。
|
コメント