PR

◇ 池澤夏樹個人編集「世界文学全集1-07 ハワーズ・エンド」

作者はフォースター。
たしか「眺めのいい部屋」は読んだが……内容はほぼ覚えていない。

うん。なんかよくわからなかったね。

高等遊民と俗物の対比。ということしか。
そしてそこまでハワーズ・エンドに焦点が当てられてるのか?と疑問。
もっと唯一無二の場所として描かれてもいいんじゃないかと思ったんだよねー。
タイトルに持ってくるくらいなら。

住居として他にもいろいろ出て来た上で、いくつかのうちの一つとして
ハワーズ・エンドがあるわけでさー。

マーガレットが長年住んでいた家の方がずっとフォーカスされている気がするし、
わりと気に入っていた何だかっていう家もあるし、
ウィルコックス家?と(もう苗字すら覚えていない)何だか家が出会ったのは
たしかにハワーズ・エンドかもしれないけど、
交流を深めていったのはロンドンでしょう?
そこまでか、と思うなあ。

死んでしまったウィルコックス夫人がなぜマーガレットにハワーズ・エンドを
遺贈したかったのか、全くわからない。
レナードとヘレンがそういう関係になる理由もわからない。
マーガレットとヘレンが魅力的にも思えない。

読んでいてもやもやとしていた。
細部はもう忘れているがヘンリー・ジェイムズを読んだ時のもやもや感と似ている。

何より言いたいのは、吉田健一訳がこれでいいのかっていう。

池澤夏樹は吉田健一が大好きなんだよね。
わたしは以前に吉田健一のなんだかのエッセイを読んで……

その時は池澤も推薦してたし、白洲正子も交流があった人だというし、
イギリスをこよなく愛し、イギリス精神が染みついていた人だと思っていたから、
気に入らないはずはない、そんな可能性は全く考えずに読み始めた。

そしたら全然ピンとこないんですよ。
もう驚くくらいピンとこない。さっぱりわけわからない。

連綿とした文章はありだと思う。それこそ平安女流文学からの流れもあるわけだし。
……が、イギリス育ちで男性がそれをすると違和感があるというか。
そういう偏見がわたしにあるのかね?

育ちからすると、日本古来の平安女流文学からというより、
ジョイスやウルフの「意識の流れ」から来ている連綿体だったりするのか?

日本人が書いた文章でこんなに受け付けない文章は珍しいというくらい
受け付けない文章だった。

まあそのエッセイに比べたらこの翻訳は若干読みやすかった方なんだけどね。
しかし比較して読みやすいというだけで、これはもう少し読みやすい翻訳が
あるのではないかと思う。

フォースターがよくわからない小説を書いて、
翻訳も合わない、ということならまあ読んで楽しくはなりそうもないです。
というわけで、あまり間を空けずに小池滋訳の「ハワーズ・エンド」を
読んでみたいと思う。

決して面白くなかった小説をまた読むのは苦行ではあるが、
とりあえず翻訳が違ったらまた違う印象を持つのかという点を確かめたい。

しかし長年親しんできた図書館という存在も、今回のことで
ついに休業に追い込まれてしまいました……
再開の日を心待ちにする。
ああ、こんなことなら貸出可能数10冊をしっかり借りてくれば良かった。

まあ読むものといえば、積読本もあるし、読まなきゃいけない英語の本もあるし、
蔵書を再読したっていいわけだし、いい機会ととらえるべきなのかもしれないが。

ヨーロッパにおけるペスト。黒死病。
本朝におけるはやり病。
そういう過去に思いを馳せる。過去の思いを繰り返す。

コメント