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◇ 百田尚樹「永遠の0」

わたしは戦争物はキライだ。

じゃあなんで読んだのかというと、WEBサイト「本の雑誌」に
書店員のおすすめ本のコーナーがあって、そこで熱くおすすめされていたから。

いわく、

・主人公がものすごくかっこいい
・戦争を知らない世代は必ず読まなくてはならない

この辺りに興味を感じて読むことにした。多分これが10年くらい前の話か。
その他に、

・映画になったこと
・近年のしている百田尚樹を読むなら避けられない一作だと思ったから。

という理由も出て来た。

※※※※※※※※※※※※

文庫600ページ。
わたしは戦争の、上手くまとめられたレポートとして読んだ。
なので特に読んでいて腹は立たなかった。

別に文章が稚拙だとも思わなかったしね。文学的とはいえないが、
昨今、表現力に優れた文章なんて存在割合がだいぶ減っているだろうし。
むしろシンプルで読みやすい文章。

が、読み終わってからAmazonのレビューを読んで「他作品の引き写し」
「小説ではない」という批判がすごく多いのを知った。

なるほど。他の戦記物をたくさん読んでいる人はそう感じるのか……。

わたし自身はフィクションなのかノンフィクションなのか判定しかねるこの作品、
アリだと思う。少々長いけれども読みやすく、状況はよくわかる。

小説というよりはレポート。
そして登場人物というよりは記号。
出て来る人々はおおむね記号であり、内容を語るだけのスピーカー。
まあそういう手法もありだろう。そこはそこまで批判されなくてもいいと思う。

小説部分は最後にほんの少しあるが、うーん、まあ「転」の部分で若干驚くけれども、
小説部分はおまけですな。

これ、戦争について触れるという意味ではまあまあいい本だと思う。
小説仕立てということで読みやすいしね。
……が、これはこれでいいけれども、これ1冊読んで、これが戦争だと思われると困る。

わたしはこの作品が戦争を美化しているとは思わない。
戦争は悪だという主張は随所に認められる。

が、間違いなく零戦(零式戦闘機)が美しく書かれているからなあ……
飛行機乗りへの憧れをかきたてるように書かれている。
そして「ものすごくかっこいい主人公」でしょ。
戦争を美化しているとはいえないけれど、戦闘は美化していると思う。

正直、戦士に憧れる要素は全人類的にあると思うんです。
古くは宇宙戦艦ヤマト、ガンダム、ガンダムが今まで作られ続けている理由、
現代のアニメがお手軽に架空戦記ものを作る理由、
「進撃の巨人」、古くは「エヴァンゲリオン」が流行る理由、
スポーツ選手が現代の英雄である理由、根っこは一つだと思う。

戦う人がかっこいいから。

戦う人はかっこいいけれども、戦争はだめなんだよ、ということをいいたいんだったら、
戦争のみにくい部分をもっと書かなきゃだめなんじゃないかなあ。

まあそういう部分を書く戦記物は山ほどある。
そっちの分野はそっちに任せるという考え方も出来るけど、
頭で書いた戦記物で、しかも零戦や主人公をかっこよく書き、となると
バランス的に戦争の悲惨さが足りないんじゃないかな。

戦争は、想像を絶する臭さで、汚さで、不潔さで、無神経さで、血だらけで、
ちぎれた腕だらけで、気絶しそうな疲労が何日も続くということ、
その閉塞感と未来の見えなさ、とても背負えない重い荷物。

皮膚感覚にうったえる部分を書かないと戦争を描いたことにならないと思う。

それを頭で、これこれこうだから戦争に負けた、と書いてしまうと、
「じゃあどうだったら戦争に勝てた?」と考えてしまう。
シミュレーションのはじまり。

頭で書いた戦争もの。
これだけを読んで戦争を知った気になってはだめだという所以。
これを読むなら、あと2本は戦争物を読むつもりで読まないと。

あー。でもこの本で初めて知ったこと。
零戦の驚くほどの高性能が無理な戦法を取らせることになったと。
そういう視点はなかった。

2000キロ飛んで、そこで命のやりとりをして、また2000キロ、
しかも干し草の山の中の一本の針のように探すのが難しい船の上に帰ってくる。
今のようにコンピューターが何でもやってくれる時代ではない。
無線はポンコツで役に立たない。

しかしその劣悪な条件下でも戦える機体を作ってしまったのが、
その悪条件を乗り越える優秀なパイロットが育ってしまったことが、
死ぬことを決定づけた――作戦を生んでしまったのかもしれないと。

制作した人は宮崎駿の「風立ちぬ」の人だろう。(フィクションだけれども)
性能のずば抜けた飛行機を作って、戦況の好転を願ったろうに。
最終的には、ある意味では零戦の優秀さが油断を生み、泥沼の戦いに
足を踏み入れて行くことになったと――

まあ何があろうと、上位者たちは有能とはいえなかったようだから
結果は最初から決まっていたのかもしれない。

※※※※※※※※※※※※

戦争は、最低でも国がなくならないとなくならない。
現在、海外移住者も多くいるし、どこでだって生きていけると思える人もいるだろう。
お金さえある程度持っていればどこででも暮らせると。

でもそういう人でも、拠って立つ国があるのとないのでは全く違う。
個人が全く変わっていなくても、もし国が消滅したら難民になる。
そこに生じる差別と排斥。
たとえお金を持っていても、その社会である程度の地位を築いていたとしても。

帰化なりなんなりしても、長い間には文化的差異に苦しむこともあるだろう。
戻るところのない喪失感は高い壁になりうるだろう。

国を第一義に考えると、経済力も人口も資源もない国が他国に圧迫された場合――
唯一何か出来ることと言ったらテロ行為だけ、ということもあり得るんだよね。
少人数、貧しい国が巨大勢力に立ち向かう方法はほんのわずかしかない。

国内が飢えて、どうしようもなくて、閉塞感に覆われた時――
無力に死ぬよりせめて一矢むくいてと思わずにいられるだろうか。
その辺り、わたしは自信がない。

外交で乗り切れるのは、海千山千の外交技術を持った外交窓口があり、
その上である程度の経済力と軍事力を持った場合だけ。
ここに当てはまるのはほんの何か国かの欧米の国だけだ。
世界は強者である欧米の論理で動いている。つまりそれ以外の国は
最初から土俵に上がるのも難しい。

弱者は強者に食われる。
国という単位がある以上、弱者と強者ははっきりと分けられ、
食えるものなら強者はすべてを食らいつくす。
この構図はなくならない。理念ではなくならない。

 

今回のコロナウィルスについての状況は、ごく大雑把にいえば、
戦争期の日本人とある部分が似ている。

正しい情報がわからないから、とりあえずはおえらい方々が思い付きでやることに
従わなければならない。
なんとなく周りに合わせなければならないような気がする。
周りに合わせておけば無難だと思える。
しかし上がよく物を考えて手を打っているのかというと、その部分は全く信頼できず。

専門家の意見をしっかり聞いているのか?
その「専門家」は妥当な選択なのか?
確実に信頼できるデータによって意見を述べているのか?
そして聞いた意見を合理的な施策として構築出来ているのか?
保身や前例、政治家の損得、見栄えに流されてないのか?

……全部(前半はともかく、後半は全く)信頼できないが、
なんとなく周りに(以下ループ)

わたしが昭和初期に生きてたとして、戦争反対とは絶対に言わなかっただろうなあ。
そういう意見は、戦後もだいぶ経ってデータも揃って、
冷静に外側から見た時にいえることであって。

同時代にいれば――
戦争に勝って自国が得をする、景気がよくなる、領土が増えるとなれば
大声で反対することは出来なかっただろうし、
戦争に負けたら国がなくなる、という危機感があれば、
それはそれで必死にならざるを得ない。

自分さえ安全なところにいるのなら「お国のために立派に戦って」というだろう。
もし自分が特攻隊になったら、そういう全国民のプレッシャーに負けずに
抵抗することは至難のわざだと思うし、「お国のために」と美化した形で
死んでいくのが一番楽に感じるだろう。自分にさえも信じさせて。

……ということを考えるのが嫌なので、わたしは戦争ものがきらいだ。

 

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