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◇ ダヴィッド・ラーゲルクランツ「ミレニアム 4 蜘蛛の巣を払う女 上下」

全然期待してなかったところから考えると、まあまあ面白かった。
まあまあ面白かったが、話は薄いよね~。

知らない人の為に言っておくと、ミレニアム1~3はスティーグ・ラーソンなる人が書いた
世界的なベストセラー。
しかしラーソンは若くして急死し、……しかも1巻の出版直前の心臓発作。
自分の作品が大成功をおさめたところを見ることは出来なかった。
その後、そのキャラクターを引き継いで別人が書いたのが本書。

わたしは第4作の草稿が残っていて、それを基にして故人と親交のあった作家が
書き継いだのだと想像していたが、
今回書いた人は原著者とは特に関わりはないようだ。
そして草稿を基にしたということもなく、……早い話、売れると踏んだ出版社が
名前とキャラクターを使って勝手やってるってことですよね?いわば二次創作ですよね?

……そう書いてみると、なんだか腹が立ってくるなあ。
それってやっちゃいけないことなんじゃない?世にはパスティーシュなるジャンルがあって、
過去の名作の続きやスピンオフを書いた作品も多々あるけど、
それはたいてい何十年か経ったあとのこと。
今回のように、ラーソンが死んだからって、すぐ別人があとを引き継ぐのって間違ってないか。
それこそあの世でラーソンは著作権を主張したいのではないか。

なんですかねえ。実感出来るところで例えると、青山剛昌や尾田栄一郎が急死したとして
(勝手に殺して失礼)すぐに別人がコナンやワンピースを描き継ぐ、という状況だよね。

ラーソンには結婚をしてなかったものの、18才から亡くなる50才までパートナーだった
エヴァ・ガブリエルソンという女性がいたらしい。
(籍を入れなかったのはジャーナリストの家族としての危険を考えて)
1~3巻も、彼女との共著という側面もあるそうだ。
だが籍を入れていないことで、ガブリエルソンにはミレニアムに対する権利がなく、
ラーソンの家族(←4巻以降の出版希望)と4巻以降の出版について争ったという記事を
読んだこともある。

完成してなかった草稿を別人が完成させる、というところまではぎりぎりありかと思う。
しかし売れるからと言って、死んだ人のキャラクターを勝手に使って全く違う話を書くというのは
許されることではない。

読んでいる間はそこまでは考えてなかったが、許されることではないな。
今後は読まないことにしよう。

ちなみに純粋に作品としての感想でいえば、意外なほどキャラクターは引き継げていたと思う。
だが、これは訳者が同じってことが大きいだろうなー。
新著者のテガラはおそらく半分といったところだろう。

で、話は、いつになったら本題が始まるのかな?って思っている間に下巻の中ばを過ぎたので、
これはこれだけの話なんだとようやく気付いた。
まあそれなりにその場その場の緊迫感はあると思うが、全体的な山場がね。
1~3巻がまあマッターホルン級の盛り上がりだとすれば、4巻は高尾山。
高尾山には高尾山なりの良さがあるとは思うが、前はマッターホルンだったのに高尾山かー
という気持ちにはなる。

一作品としてみればさくさく読めて悪くない。が、経緯を考えると読む必要はないと考える。

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