――それなら、現行の4番目のモデルは誰なのか?
これは、番組の結論から言ってしまえば、
ダ・ヴィンチを雇った法王レオ10世の弟のジュリアーノ・デ・メディチの愛人であったパシフィカ。
ダレソレ?ですけどね、そう言われても。
実はこの4番目は、ジュリアーノからその息子であるイッポーリトに、亡き母の肖像を伝えるためのプレゼントとして
発注されたというのだ。
これについては主に情況証拠しかない。
イッポーリトは、生まれてすぐ捨て子としてウルビーノの施設に預けられた。
その数年後にジュリアーノが自分の子として認知し、手元に迎え入れたという書類が残っている。
ジュリアーノには愛人が数多くいたが、ウルビーノにはパシフィカという愛人がいたらしい。(その根拠は失念。)
パシフィカは既婚だったらしい。(根拠は失念。)
パシフィカは出産で亡くなったらしい。(根拠は失念。)
イッポーリトは母を恋しがったらしい。(父が留守の時には“父は母を迎えに行っているのだと言っていた”という言い伝え。)
ダ・ヴィンチを訪問したある枢機卿の秘書の記録によって、ジュリアーノに何らかの所縁のある女性の肖像を
ダ・ヴィンチが描いていたのは根拠がある話らしい。
「それは自然の中にいる一人の女性像で、ジュリアーノ枢機卿が発注者だ」と書いてあるようだ。
そのモデルがイッポーリトの母で、母の肖像をその子に形見として残そうとしたというのは想像の域を出ない。
(主にその想像をしたのは歴史学者のロベルト・ザッペリ。文献を丹念に読んで出した結論らしい。
ちなみに美術畑の人では全くないとか。美術畑の人じゃないためにある意味信用出来る気もする。)
一応そういう想像が正しいとしたうえで幼子の寂しさを慰めるためならば、完成を急がなければならない。
未完の肖像画を再利用したことの理由。
しかし発注された翌年ジュリアーノが死去し、絵がイッポーリトに贈られることはなかった。
まあ何故ジョコンダさんに肖像画の引き渡しをしなかったのか、
なんでジョコンダさんの肖像画の上に4番目のモナリザを描いたのか、ということについては
わたし個人としては乗り越えられてない。なんとなく流れで……も十分あり得る話だけれども、ここにも物語が必要だとは思う。
だが、ここまで述べられたことが正しいと仮定するならば。
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わたしはとても納得が出来るのよ。
モナリザはなぜ、謎の微笑みを浮かべているのか?
雄大な自然を背景に、永遠の存在として歴史の流れにあったのか?
最初の依頼は“面白い思いつき”程度のものだったのだと思う。
多分に想像を交えて語れば、
……ジュリアーノがダ・ヴィンチのアトリエを訪れ、ふと目についたリザの(未完の)肖像画を見て言う。
――この絵は……あの人を思い出させる。ずっと昔に死んだパシフィカを。
――パシフィカ?
――イッポーリトの母親だった人だ。そう、こういう目をしていた。よく似ている。これは誰?
――フィレンツェの商人の奥方だ。だいぶ前に頼まれた肖像画だが……
――渡してない?
――例によってね。もう10年以上も前の話だ。向こうも頼んだことすら忘れているだろう。
――そうか。……どうだろう、レオナルド。これをパシフィカの肖像画として仕上げてはくれないだろうか。
イッポーリトへの贈り物にしたい。
――パシフィカの?会ったこともない人の肖像画?
――君なら出来るだろう。僕が語るよ、あの人がどんな人だったか。
ダ・ヴィンチはパシフィカとの面識はない。取材によってその面影を追っていくしか。
当時として、おそらくそれは珍しかったのではないか。歴史上、あるいは神話の人物を絵画にするにしてもモデルは使ったと思う。
しかし言葉によって説明されたことを絵にしていく。言語から絵画への変換作業。
現代でいえば、復元図の作成を試みたわけですね。
ジュリアーノが語ることに基づいて、いかにジュリアーノの記憶にある姿に近づけていけるか。
面白さがあったと思う。何しろ新しい試みが好きだった人ですし。
母を失った子へ、その母の肖像を贈るのであれば描こうとする。
母の愛情を。見守る視線を。彼岸を隔てたことへの悲しみを。
でもそのジュリアーノも間もなく死んでしまった。イッポーリトへこの絵が渡ることはもうない。
そのうちに、ダ・ヴィンチにとってこの絵は「母なるもの」への追求になったのではないか。
何度も眺め、何度も筆を加えるうちに、そこには縁が薄かった自らの母の似姿も映っただろう。
母が持つ、子を食らう暗黒の力の反映もあっただろう。
母の中にある女、永遠の女性も含まれていっただろう。
聖母であり誘惑者であり、光であり闇である女性。女性という存在。そういうものに「モナリザ」は近づいていく。
死ぬまでこの絵を手放さなかったという。
母を、女性を完成させるのは天才ダ・ヴィンチをもってしても困難だった。
天才だったからこそ、「女性」を描くという難業に挑み、その難しさを理解していた。
理解していたからこその未完。その後はサライに残され、さらにフランソワ1世の手に渡って今に至る。
わたしはクロ・リュセに行ったことがある。
時間があまりないなかで駆け込み、慌ただしい見物ではあったが、ダ・ヴィンチについて色々と思うところはあった気がしている。
正直そこには目ぼしい絵画作品はなく、一番面白かった展示は様々な手稿を基にした簡単な模型だったが、
歯車の天才だったという感想を得た。歯車を、実によく知ってよく使っているんですよ、あの人は。
ここにいたんだね。ここで死んだんだね。
調度品も当時のものらしい。このベッドでダ・ヴィンチは死んだ。
窓からみる景色は、さすがに色々と変わっているところはあるだろうが、彼が見たものと同じ。
ダ・ヴィンチ。
謎に答えが出ることはないのかもしれないけれど、しかし答えは永遠に追い求められ続ける。
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