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◇ 槇文彦・大野秀敏編著「新国立競技場、何が問題か オリンピックの17日間と神宮の杜の100年」

陣内秀信関連でちょっと眺めた本。

夏のオリンピックには全く興味がなく、東京でやることについても「へー、やるの」程度の認識なのだが、
新国立競技場でもめてるということはごくうっすらと知っていた。

エライ人はリッパな建物を建てたがりますからねえ。
人の金だと思って。

まあでもそれを言い出したら切りがないので、わたしはあんまり興味を持たないようにしている。
税金で建てられた宮城県図書館が大嫌いなわたしだが、建ってしまったものは仕方ないし、
かといって、仕方ないでアキラメラレナイ部分があるので、宮城県図書館のことを考えると血圧が上がるし、
もうわたしのなかでは、建築としての宮城県図書館はなかったことにしようと。

他の建造物も同じ。あらゆる意味で素晴らしい建築というのはどうせ建たない。
誰かにとって良くても、別の誰かにとってはダメで、デザイン性が高ければ経済性が悪く、
立地条件が良ければ他の景観に多大な影響を与える。

つーか、わたしは存命建築家を信用していない。「自分の好き勝手作って無駄に金を食う人」という位置づけ。
これが逆転するのは、名建築として残った建物を設計した建築家になり得た人だろうな。
もっとも、斬新なデザインは基本的にキライなので、同時代を生きていたとしたら
築地本願寺を作った伊東忠太なんかをすごくケナしている自信がある。

それはそれとして、新国立競技場。
あ、ちなみにこの本は多分ザハ・ハディド案が廃案になる前に出された本。

わたしはこれに関して自分の意見はほぼナイ。経緯も知らんし。金を食いすぎだろ、という感想以外は。
当初予算1300億円に対して3000億円かかる建物を選ぶ方が馬鹿だ。

この本のわたしなりの要約は(多分もっと色々書いてるんだろうけど)、

1、コンペ要項に立地場所の歴史的な視点が全く欠けている。
2.1にも関連し、周囲の景観についての配慮がなされていない。
3.金がかかりすぎ。

というような感じかと思う。

1はサブタイトルのことですよね。オリンピックの17日間と神宮の杜の100年。
サブタイトルだけ読んでも何のことかピンとこないが、オリンピックのたかが17日間のために、
100年かけて築いてきた景観と歴史を損ねていいのかという問いかけ。

しかしそもそも建築コンペに際して、そういうところに配慮せよとは全く書いてなかったというんだから
まあ素人のやることはズサンなもんです。しかし素人といっても物事を決めちゃえる役員とか委員なんだから、
あんまり杜撰なことをされると困る。

わたしはとにかく、――日本橋の真上にあんなごちゃごちゃと道路を作ってしまう神経に前々から疑問を抱いていてですね……
あれもたしか、前回の東京オリンピックのやっつけ仕事でしょう?
川の上空を通したからこそ土地買収などの問題がなく、比較すれば低予算・工期短縮で出来たのはわかる。
それ以外の選択をすれば金は莫大にかかっただろうし、もっと揉め事が発生しただろうし、
色々メリットがあっただろうというのもわかる。

しかし天下の日本橋があんな風では可哀想だよ……
それこそ歴史的な視点からして。歴史好きと歴史に全く興味ない人って、どこの星の人だろうっていうほど
物の見方が乖離しているのに気づいたことが人生で数回ある。
建築家でも歴史に全く興味のない人なんてなんぼでもいるんだろうなあ。
わたしからすると、それってオソロシイくらいのもんだが。

2に関して。
わたしは東京に詳しくないので、旧国立競技場がどんな建物だったかも浮かんでこないし、周辺の立地についても知識がない。
この本では銀杏並木と絵画館を基本として作られた景観、というのをだいぶ推していた。

スケール感ってのも大事だと思うよ。
そもそも選ばれたザハ・ハディドって人は、色々なコンペで「これはすごい!」と言われてよく勝つんだけれど、
実際に建てようとなるとそのあまりの大掛かりぶりに「やっぱ無理」という結論になることが多い建築家らしい。
なので、今回のように選ばれたのに廃案になったというのも1つや2つではないそうだ。
――そういう情報も事前にある筈なのにね。エライさんが景気がいいことが好きだから、無責任に見栄えがいいものを
選んじゃうんだよなあ。
まあそもそも建築家・およびその関連じゃない人が、パースや完成予想図を見ただけで実際の建物を想像できるわけないのだ。
想像できる範囲は、数字に根拠はないが、1%くらいだろう。

建築は建ってみないと。使ってみないとその価値がわからない。

だからこそ3を基準に考えていいんじゃないかと思うの。

どんなに理念が素晴らしかろうと、どんなに設計の見栄えが良かろうと、建築は使い勝手が命だ。
(ということがわかってない建築家が多すぎる)
なので、極力経済的な案を選ぶ。
安価で内容が素晴らしければそれは最上の建築じゃないですか。
制限のあるところに工夫が生まれる。工夫されたものは価値があるよ。
最初から湯水のごとく金を使って、人目を驚かすバカでかい建物を作って、それのどこが偉かろう。

総工費と、それより大切なのは維持費。ザハ案のままだと、維持費で年間43億円……。アホかといいたい。
わたしは無用の長物の建物のために年間100円の税金を払う気はありませんよ。
この維持費をイベントで稼ぐ予定というが、そのためには防音にもっと金をかけなければいけないというジレンマがあるらしく、
だから最初からそういう無理な計画を立てるなというのだ!

まあ、そういう諸々の理由から、現在は隈研吾案に乗り換えたらしいですから、今更こんなことを言う必要もないんですけどね。

しかしザハ・ハディドは今年の3月に亡くなったそうだ。65歳。これからまだまだ色々、という年齢だよね。
そう思うと計画の取り消しも若干切なく、哀惜の気持ちも湧くが、
現実的に考えると設計者が存在しなくなった建築を建てるのはなかなか難しいことなので、
結果的にはセーフという部分もあるかも。

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