美しい話を書くねえ……
小川洋子はなんといっても「博士の愛した数式」。
これはとても好きな小説で(映画はキライだったけれども)特別な一冊になっている。
……だが小川洋子の他の作品はどうもコワイ気がして、周辺の何冊かを読んだだけ。
それらはあんまり好きではなかった。
本作は「博士が愛した数式」の直接的な後継者。続編というわけではないけれども。
タイトルからは全くチェスの話だとは想像できないわけだが……
チェスの話です。小川洋子らしい(と言えるほど作品を読んでない)、現実と幻想のあわいを行く作品。
小さな男の子がいて。世の中の片隅にひっそり暮らしていて。
同じようにひっそり暮らしている、巨漢の“マスター”からチェスを教えてもらい。
チェスの才能。――チェスで詩を書く才能を宿らせ。
しかし終生ほとんど公けの世界へ出ることなく、姿を隠したままひっそりと美しいチェスを指し死んでいく。
おお、わたしにしては上出来な要約。
主人公の作品中の綽名はリトル・アリョーヒン。アリョーヒンというのは実在したチェス名人らしい。
チェスのルールでさえも知らないわたしは当然この人の名前も知らない。
主人公はリトル・アリョーヒンであり、“リトル・アリョーヒン”でもある。
“リトル・アリョーヒン”とはアリョーヒンに似せた、チェス指し人形。少年は大人になっても
体が大きくならないまま、その小さな人形の中に入りチェスを指し続ける。
「博士が愛した数式」が、美しい数学について語る話とするならば、
この作品はチェスの美しさについて語る作品。前者より後者に、より詩的な部分が多かった。分量として相当に。
詩的な部分。美しさを描写する――しかも直接美しくないものの(チェス盤やチェスの駒が美しくないとは
言わないが、例えば彫刻作品や絵画とは違う)美しさを表現する。
これは誰でも出来ることではない。
読んでいて、綿あめのようだったね。あくまでふわふわした想像力の力量。よくもここまで書ける。
作家として尊敬するわ。
――しかしそれはそれとして、話の作り的に不思議な細部が多かった。
“猫”はわかる。ポーンの存在は自然だ。しかしインディラは……この象の話が実話だったとしても、
これとチェスの話を結び付けるのは不思議。しかも象と泳ぐんだしね。
唇がくっついて生まれて来たという設定はありだと思うが、脛の皮膚を移植し、口元に脛毛が生えている
とするのもなんでそんな設定なのかよくわからない。
ミイラ(想像の方の)の話も不思議。実在の方のミイラも、ミイラと呼ばれたらイヤじゃないかなあ。
他にもいろいろ。想像力がどこからどう働いてこういう設定なのか不思議に思う。
話の中で多々、死ぬ人がいるんだけれども……
一人一人が寂しく死んで行く。花のようなる記憶を残して。また地下鉄で泣いていた。
美しくて寂しい話だ。美しい話は……まあどんなものを美しいと思うかは読み手ごとに違うけれども、
読みたくてもそうそうないと思うので、書き手の力量を感じる。恩田陸には腕力を、小川洋子には技術を。
この人はチェスをする人なのかね?全くしないということは有り得ないとしても。
ここまで美しく書けるのであれば、愛着がないわけではないでしょう。
どのくらいチェスにつきあってこんな話を収穫するのか、わたしは知りたい。
![]() 猫を抱いて象と泳ぐ [ 小川洋子(小説家) ]
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