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◇ 最相葉月「東京大学応援部物語」

中学校の時に仲が良かった友人に、SちゃんとYという二人がいた。

1年生の時に同じクラスで、2年になってクラスが分かれた。
新学年が始まって間もなく、SちゃんとYが応援委員になったと聞いた。
応援委員というのはクラスから男子女子一人ずつ選出されるもので、応援団有志の下につく。
いわば応援団のアマチュアみたいなものだが、珍しいものになったなと思った。
Yはともかく(彼女は珍しい物好きだったので)、Sちゃんは明朗快活で成績優秀だったけど、
運動神経その他はどちらかというと苦手な方で、フィジカル向きとは見ていなかったから。
(ちなみにフィジカル向きでないのはわたしも同様である)

6月に中総体がある。
そこでYが泣きながら電話をかけて来て言うことには、
「Sちゃんが応援団にビンタをされた」
口ゲンカさえめったにない我々の世界ではビンタなんておおごとである。
なぜそんなことになったのか聞くと、応援時の出来事らしい。
Yも動揺しており、あまり詳細を整然と聞くことは出来なかったが、
何だかの試合に行って小雨の中応援し、負けた後、「負けたのはかわいそうだけど体がすっかり冷えちゃった」
――Sちゃんが言った一言に対して、応援団幹部が反応したらしい。

わたしは動揺し、信じられなかった。その理不尽さに非常に腹が立った。
応援をサボったわけでもない、小雨の中の応援に対して文句を言ったわけでもない、
試合が終わった後で事実を述べたまでのことなのに、それに対してビンタとは。
理解不能だった。横暴で理不尽で、苛めだと思った。
顧問に言ったらどうか、とYに言ったのは覚えている。それと同時に「何も出来なさそうだけどな」と言ったのも。
応援部の顧問は非常に気弱な人で、貧乏くじを引いて応援部の顧問をしているのは明白な人だったので。
ありがちなことだけれども、うちの中学校も不良と呼ばれる人たちが応援団の幹部をしていた。

……その後、どういった経緯をたどったのかは全く記憶にない。
Sちゃんとはその事件について詳しい話はしなかった。その話をSちゃんはしたがらなかったように思うし、
わたしも生来ヒヨワな性質で、人の傷に触れに行くことを避けた。

※※※※※※※※※※※※

この本を読んでいて、その時のことが思い出されて仕方がなかった。
通常、日本で中学、高校生活を送った人なら誰でも応援団との関わりはうっすらとはあり、
「応援の強制がダルかった」「団長さんがかっこ良かった」などというなんらかの思い出はあるだろうが、
応援団の理不尽さを垣間見たという意味ではほんのちょっとだけ経験の違いがある。
伝統を背負う姿勢には共感を感じつつも、その理不尽さ、暴力性には嫌悪を感じる。

相変わらず最相葉月なので、凡百のライターと違って一本の道筋に沿って取材をし、
型通りの結論は出すということはしない。
一人一人の部員には温かい目を注いでいるが、その非合理性、理不尽さへのとまどいがあることも充分見てとれる。
しかし彼女はそこだけを取り出して、その非合理性が是か非かというノンフィクションにはしない。
面的に。そこが彼女の長所。

でもわたしだったら、非合理性の是非という点で書いてしまうだろうなあ。
応援団について、自分にとっての一番の焦点はそこなので。
わたしは歴史好きで、保守的、どっちかというと伝統を重んじる方が好きだと思う。
応援団の伝統、という言い方にも美しさを感じないではない。
だがそこに暴力性と非合理性が絡んでくるとね。伝統よりも合理的な方を求めたい。

なので、書いてある内容に共感出来ない部分は多々あった。
弱い運動部が負けて、そしてそれを自分たちの責として、怒鳴られる。
あるいは後輩たちが失敗した時に先輩が体罰を受ける。あるいは苛めとしか思えないトレーニング。
それはなぜか。

こちら側から考えればマゾとしかいいようがない。考えていると何だか腹が立つ。
だって弱い部活は弱いし、比較の問題だからしょうがないし(どんなグループにも最弱は存在する)、
むしろ東大なんだからそもそもスタートからして不利。基本的に勉強をたくさんした人が入る大学なんだから。
勉強時間をたくさんとった≒高校時代に部活に割く時間は相対的に少なかった、でしょう。

ここについての最相葉月としての結論は出ていない。多分。
ただいろんな立場にいる応援部員を写して、それぞれの考えを紹介することしか。
それを読んで、読者が考えることなんだろう。それがこの本の価値。彼女の書き方だ。
いいことも悪いことも沢山書いてある。その中には説得力のあることもあるし、そうでないものも。
わたしの結論は出ない。

応援なんて自己満足以外の何でありうるのか、とも言える。
その時その人の救いになるのは、結果的に善意から出た応援ではなく、悪意から来た否定の場合だってある。
応援というものを広い範囲で考えるのなら、人と人との付き合いで善意の励ましが本当に役に立つことは
何%くらいあるものだろう。
応援のつもりもなく相手に投げた心のこもらない一言が、結果的に相手を救うことだってあるんだよ。

自己満足で何が悪い、と開き直った方がいいと思うけどね。
人間関係は思いがそのまま伝わることは絶対にない。それは良くも悪くも。

数ある応援部員の中の一人に、退部・復帰を2回やった人が出てくる。
一度はたまにあることらしいが、二度となるとほぼないらしい。
うつ病になって、復帰を薦めて来る応援部員から逃げ回って……。わたしからすれば
もうとっとと辞めていいやん!!と大変歯がゆい。
でも続けて正解なのか。それともあっさり切り替えるべきだったのか。
10年くらい経たないと答えは出ないことだろう。応援部を辞めた人の中で、死ぬほど後悔した人もいるそうだが。
わからないね。

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わたしの読書はだいたいわかることだけ読んでいるんだけれども、
たまには考えさせられる読書をするべきだろうな。
中学校の時の話を言えば、“応援団の論理”を応援委員に適用するべきか否か、というところが
一番現実的な争点だったろうか。応援団の論理自体の是非はわたしには結論が出せないけれども。

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