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◇ 「白洲正子全集」

1~14巻、そして最後に別巻があり、それは対談集。読み終わった。

白洲正子はわたしにとっては五指に入る好きな文筆家で、多分半分以上は読んでたんじゃないかな。
大人になってから(=本を買わなくなってから)出会った作家で、
10冊くらい蔵書があるのは多分一番多いくらい。あ、でも北村薫の方はわずかに多いか。
どっかが文庫で全集を出してくれたら買うかもしれない。

それにしても、1巻2巻あたりは……白洲正子もこんな俗なことを書いてたんだなあ、とびっくりした。
基本的に原稿発表の年代順に全集にまとめたようなんだけどね。
初期の書き物は上流階級有閑マダムのようなエッセイだ。まあ実際上流階級有閑マダム?の人なんだけどさ。

全部が全部俗というわけではないんだけど、知己についての、なんというか、単なる交友記を出ないものも
ちょこちょこあり。いや、普通の人でしたね、最初は。
能のことについても――わたしは多分15巻を2年くらいはかけて読んだと思うから、よく覚えてないが――
最初の方はあまり深い話をしていないように感じた。
単に詳しい人が初心者に説明するというスタンス。

わたしの知っている白洲正子になって来たのは5巻の「かくれ里」あたりから。
そもそもこの全集、けっこう1冊1冊厚みがあるから、1~4巻までもけっこう長いんですけどね。

そしてわたしの知っている白洲正子になってしまうと、実にさらさら読めてね……
これがいいのか悪いのか知らないが、読んだ後、具体的な内容としては全く頭に残らない。
白洲正子が褒めた仏像や面……いくらでもあると思うけど、一つとして名前が頭に入ったものはなく、
「何とか寺の何とか観音をいつか見に行ってみよう」という気持ちにはならない。

内容ではなくて何がいいのかというと、その水のような風のような文章。
いや、けっこう文章には癖がある。エラそうで無愛想で、いかにも白洲正子というにおいはある。
だから水のように無色透明だということではない。
だが読んでいる間は、風に吹かれているような気持ち良さ。これは他の著述家の誰とも違う点かもしれない。
文体が好きとか、表現が好きとか、まあ当然内容が好きとか、そういうのが普通だと思うが、
白洲正子の文章は、それこそ巡礼地とか山のてっぺんのお堂に連れて行って、
黙って風に吹かれさせておいてくれる、というものなんだよね。

別巻の対談は、そこまで面白くはなかった。
対談の極上品というのは稀有だと思うしね。対話をすることで思考が深まっていくのが理想形だが、
それには自分の器量と相手の器量と、テーマのたてかた、その他のハードルがいくらでもある。
対談者同士が気が合えばいいかというとそうでもなく、あまりにツーカーだと「そうそう」だけの話になってしまうし、そもそも読者が置いてきぼりになる場合もある。
気が合わないとお互いが自説を述べるだけとか、どちらかが話して片方は聞き手オンリーとか、
まあ、なかなか難しいものです。
白洲正子のイメージからすれば、意外に相手に合わせてた印象があった。

亡くなってからもう17年も経つ……。10年くらい前のイメージだったが。
月日の経つのは早いなあ。

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全集、大人買いなんてしてみたいなあ……。
宝くじに当たって書庫スペースをたっぷりとった豪邸を新築してからでないと無理だが。

全集、文庫にならないかねえ。

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