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◇ 有吉佐和子「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

やられたなー。そもそも、戯曲だってことにも肩すかしだったが、
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」という話ではなかった。かなりトリッキーなタイトル。
このトリッキーなところで話が面白くなるかというとそうでもないと思うので最初に言ってしまうが、
攘夷女郎の話ではなくて、攘夷とは何の関係もなく(好きな男に添えないことで)自殺した花魁
(花魁というのは高級位の遊女のことらしいので、この話の亀遊が花魁かどうかは疑問だが)が、
世間の人々によって、“見上げた攘夷女郎”に祭り上げられていく話。

わたしが最初に読んだ有吉作品の「悪女について」は、これはもうトリッキーな作品で……
日本の女流作家――明確には分け得ないが、有吉佐和子当時の女性の作家は女流作家という言い方が合う気がする――で、
こういうトリッキーな作品を書く人がいるのか!と驚いた。
そういう彼女の面目躍如。まあ「ふるあめりかに袖はぬらさじ」というのは主にタイトルがトリッキーなんですけどね。

しかしこういう小さな話でも、立派に舞台になるもんなんだなあ。
文庫で100ページ。(後半には「華岡青洲の妻」の戯曲版が入っている。)
小説で書くとしたら、それは描きようですけれども短編から中編のネタかと思うんですよ。
話はもうほんと単純で、要約の苦手なわたしが冒頭で書いた3行でほんと終り。
小説で書く場合にはもっと亀遊の内面とか藤吉の逡巡とか、いろいろ膨らませるところはあるだろうが、
小さい話であることに変わりはない。それで2時間なりの舞台になるんだから、台詞やキャラクターの味だろう。

もっとも、それだけの話とは言ったが、本当は最後にもっとコワイ部分があって……
こういう風に来るか!と。
これはタイトルにおけるトリッキーさとは別の、……罠だね、これは。
こういう網を張れる人は数多くの小説家の中でも多くはなかったに違いない。
いや、小説なら罠を張る人はたくさんいるだろうが、舞台でこういう微妙な罠ってところがコワイ。
冷徹な目を持つ人だったんだろう。その見方に少しぞくっとする。

わたしが読んだのは改版ではないが。

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