原作(というかタネ本)は新書としては近年出色の出来だったし、
(と言えるほど、正直新書状況をチェックしてはいないが)
マンガ原作でもなく、テレビドラマ由来の、意味があるのかないのかわからない映画化でもなく、
新書を映画化しようとするその心意気や良し!と陰ながら応援していたのだが、
……映画として面白くなければ意味がないのであった。
薄いねえ。緩いねえ。
まあタネ本は学者本だ。書いた本人だって、まさか映画化されるとは――
断言しよう、夢にも思ってなかったはずだ。
本はいい本だよ。しかし物語でもなく、“ドラマ”でもない以上、
この素材を使って映画を作るには、相当な換骨奪胎が必要だ。
だが、この映画は換骨奪胎が出来ずに、元ネタを単に骨抜きにしただけだった。
文芸作品ってわけでもないんだから、原作の精神が活かされてないとか言っても笑止だろうが、
しかし本で面白かった部分が映画ではちょっとも出てこない。
いや、出てこないわけではない。
絵鯛とか、家財売り払いとか、エピソードとしては出て来る。
しかしこれが単にエピソードってだけ。話の中でまったく活きてない!
家財売り払いの時には、そもそもいくら借金があって、その持ち物がいくらで売れることになって、
その金額と、愛蔵品を失って痛む心を天秤に載せて見せなければ面白くないだろう!!
せっかく具体的な金額は磯田道史が(というより猪山直之が)書いていてくれたんだから!
本で面白かったのは、下級武士の生活の細部が読めたことなんだよ。それも具体的に。
それが映画では細部がほぼ全く。唯一、算用方は3年間無給で見習いを務めるということくらいが
細部っちゃ細部で、へー、そうだったのか、という部分が全くない。そこが面白いのに。
売り払った後、金貸しとの談判は、いくらでも面白くできるシーンだと思うのに……
というよりそこは、あんな10秒くらいで金貸しが「わかりました」と引っ込む部分ではないはずなのに。
彼らだって生活がかかってるんだよ。
本でさくっと流してある、ああいう部分こそ映画で話を作って行くべきところ。
まああんまりしつこくやりすぎると、それはそれでうざったくなる可能性はあるが。
狙ってるところが題材と違うんじゃないか。
そして題材との乖離は、……よほどのことがないとあまりいい結果を生まない。
わたしが見た森田芳光は「それから」のみ。遥か昔のことで……あんまり覚えてるとも言えないけど、
間が長く、映像がポカンとしていて、ぶつんぶつんとシーンを並べていく印象。
今回のこれもそういう方向の作品。
……うーん。文芸作品ならアリかな?と思えた手法も、文芸作品ではない今回の脚本でやられると、
ずいぶんと間が抜けて見える。この部分を穏和な描き方だとプラスに評価する人もいるかもしれないが、
わたしは間延びして見えてしょうがなかった。
算用方の仕事風景、三々五々仕事を始めるところなんか……
いくらなんでも長すぎたと思うんだけどどうかね?何十秒映すんだよ!と思った。
4分の1くらいの長さで良かったんと違うか。
そんなに映像的に面白いシーンてわけでもなかったし。
多分監督は信念を持って、顔のアップとかは使わないんだろうけど、
常に同じ、横に並んで目の高さでの撮影は、あんまりメリハリが効いた画柄とは言えない。
わたしはこれは、メリハリをつけるべき、もっとシンプルに話を進めていく、
面白おかしい映画にする題材じゃったんじゃないかのう、と不満だ。
文芸的な雰囲気に流れる映画じゃなくて。
話の流れも違和感を持つ部分が多く。
どこが、っていうと微妙なんだけど、挙げられる部分だけ挙げてみると、
絵鯛のエピソードは、もっと内輪の席の話じゃないと意味が変わってこないか。
本では長女のお喰い初めでの話。その程度の軽い儀式でこその話であって、
さすがに武士の面目もあるんだから、嫡男の……あれ?元服じゃなくてなんだっけ?
親戚といっても半ば公的な儀式の時に絵に描いた鯛では、武士の面目というのは、
じゃあどこで発揮するのだ、と納得できないよ。
しかも「鯛じゃ鯛じゃ」が無駄に長い……。やっぱりこれも4分の1くらいで良かった気がする。
通夜の席で喪主が奥に引っ込んでそろばん叩いているのもどうかと思うのう。
子供の方の感覚がまともだ。結婚式の夜のそろばんは、作ったエピソードとしてはありだと思うけど、
まずは金勘定よりも、親の死を悼む部分を映せと。それがなくて金勘定。
金勘定で悲しみを紛らわせるという描き方にもなっていない。
たとえばあの夜のそろばんが、藩の差し迫った仕事のためとかいうんだったら
そろばん者の意地、というものだろうが、単に自家の家計のためでしょ?
そもそも困窮した一家に見えないところが難。
話として、突然家計が傾いたみたいな流れになっているし、あの描き方だと
単に仲間由紀絵がやりくり下手だったみたいじゃないですか。
あれは当時の下級武士が軒並み陥ってた、長年の慢性的な窮乏状態でしょ?
それをあんなに金にうるさい堺雅人が突然知ったように描かれていて変。
それこそ、葬式の費用をその日に精算しなければ気が済まない性格との整合性がない。
たしかに家財を売り払ったあとは家の中ががらんとしたけど、そのわりに着物が相当きれいだし。
着物は2,3枚をずっと何年も着ていたはずなんですよ。そしたらもっと着物もくたびれてくるはず。
そういう部分への作り手の気遣いは全く感じなかった。
細部なのだ!作り手の力量を感じるのは。
4文のエピソードもなあ。
あれは映画の創作ネタだったはずだが、話がおかしくないか。
子供が4文を無くした、もう取り戻せない→おばばさまから借りた→
しばらく経ってから父が突然「そういえばあの4文はどうした」と訊く→「拾いました」と答える→
「乞食ではない」と父が怒り、即刻戻してくるよういいつける→子供は夜の川へ出て行く。
拾ったことにするならおばばさまから借りるという部分は不要だ。
むしろ、拾った場面が欲しいところ。唐突すぎる。
父は子供が他に4文を手に入れる当てがないことを知っているはずなのに
(アルバイトをする、とか示唆するのならまだしも)何を白々しく訊いてるのか。
子供にはどうすることも出来ないのに。親父はすごいイヤな奴になってるぞ!
そしてそのタイミングで夜に子供に拾った金を返させる――
提灯のロウソク代がかかるやないか!
単に思い出したタイミングで返しに行かせているんだから、別に一晩寝てからだって大差ないし。
子供は、拾った4文を川に投げ入れたんですか?よく見えなかったんだけど。
もしそうなら、青砥何某の立場は、と言いたい。そろばん者の立場は青砥何某に近いはずだ。
別に青砥何某に義理を立てる必要はないだろうけど、
わざわざ真逆のことをさせるのは、違和感があるなあ。
脚本だよなあ……。例によって。
ベストセラーの名前だけ借りて来るのは止めて欲しい。
単に下級武士の日常生活を描きたかったんなら、別に「武士の家計簿」じゃなくて良かったんだよ。
そして「武士の家計簿」というタイトルにするんなら、もう少し脚本を練って欲しかった。
役者も全員、見せどころもないまま終わってしまったな。残念だ。
なんで母方の祖父を呼び捨てなんだろう……。
犀川ってあんな堀じゃないですよね?
仲間由紀絵は演技的にはがんばってたけど、晩年もあまりにきれいすぎてお年寄りに見えない。
松坂慶子がそれほど執着していた着物なら、死の床じゃなく、もう少し早く買い戻してやれよ!
しかも質屋に入れてるというわけでもないなら、何年も経った着物の所在をなぜ知っているか。
とか色々。やれやれ。
DVDより本の方を強力にお薦めする!
映画より本の方が絶対面白いって。
……求めるものが完全に違っているので、同じ土俵で評価するもんでもないんだけど。
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