常々「極上美の饗宴」には蒙を啓いてもらっているが、今回のコレはあきまへん。
どうした?時間がなかったのか?予算がなかったのか?番組のディレクターが新米なのか?
通常はけっこう切り口が鮮やかだと思うのに、今回は適当なつぎはぎになっていた。
全然大切じゃないところをスクリプトにしていたので、なんじゃこりゃ?と思う。
“絵にも芝居にも国境はない”なんていうところを強調するようでは。
そんな紋切型な、当たり前のことを……
そういうスクリプトが多かった。「極上美の饗宴」の名が泣きますぜ。
影の色がどうこうというのも、
わざわざミュージカル・ディレクターを持ってくるほどの関連性ではないと思うぞ。
むしろ、あのミュージカル・ディレクターに単体でもっと喋らせれば
面白い話が聞けたかもしれないが、中村獅童相手では深い話にはならなかった。
中村獅童もなあ。
彼は普段絵を見る人なのかね?少なくとも今回は、鑑賞者ではなくて歌舞伎役者でしたな。
美術番組のレポーターという立場なら、本職よりも前に鑑賞者であって欲しいところだ。
わたしが聞きたいのは、「絵を実際に見るライブ感が大事」という紋切型なその台詞ではなく、
実際に見てあんたがどう考えたか、どう感じたか、という部分なんだよ。
ま、絵には好みがあるからね。
世評が高くても、自分には何も語らない絵というものがある。
多分獅童はフェルメール、そんなに好きじゃないと思う。
ああいう番組で好きじゃないというわけにもいかないし、
そういう意味で当たらず障らずのコメントになった可能性はあるか。と好意的に解釈してみよう。
それに加えて、感じる能力とそれを言葉で表現する能力は別物だから、
10感じたものを10表現できるかといえば、困難だろうしね。
しかし締めを「今回のフェルメール鑑賞で得たものを、ジャズ・フルートと三味線とのコラボで
(創作?即興?)舞踊で表現する」という企画は……
無理ありすぎ。要素が3つもあるよ。
歌舞伎役者だから、そんなことでもさせておけばいいのではないか、といった
ディレクターの紋切型な逃げを感じる。
割いた時間も中途半端で……むしろその企画をするなら、もっとフィーチャーした――
“フェルメールを見た中村獅童がどんな創作舞踊を生み出すのか”という部分をじっくり映す作りにした方が、
まだまとまった番組になったんじゃないの?
まあね、「美の饗宴」もネタは大変だと思いますよ。
常に新しい切り口で、ってのは相当高いハードルだ。そもそもフェルメールなんて
ものすごく取り上げられつくした感のあるネタ。
ここ数年で作られた番組数的には、ゴッホと双璧くらいじゃないか。
再放送を入れれば、1ヶ月に1回平均くらいでやってる気がする。数字に根拠はないけれども。
でもその上であえて取り上げるのなら、それなりに「おっ」というところがあってくれないと。
特に「美の饗宴」は。期待値も高いんだからさ。
続いて、フェルメールについてブツブツ言う。
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