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◇ スタンダール「パルムの僧院」

池澤推薦なので読んでみた。

ちょっと前に「カラマーゾフの兄弟」を読んでいたので、何となく比較しながら読むことになったのだが、
こちらはどうにも軽め……。
ロシア的重厚さが好きというわけでは全然ないけど、「カラマーゾフの兄弟」が
ベートーヴェンの第5交響曲並みにガツンとかますのに対して、
「パルムの僧院」は……えーとえーと、ラヴェルの「ボレロ」並み?
ずっと前奏、のような軽さ。主旋律まだかい?と言いたくなる話運び。
全体の半分まで読んでもまだ続く前奏感。

なにせ、結局のところは恋愛小説だというのに、恋愛の主役二人が出そろうのが
全体の半分すぎてからってどうよ?
まだるっこしーわー。この人、絶対構成とか考えてなくて、いきあたりばったりだろう。

話の最初では、サンセヴェリーノ侯爵夫人がそこまで出てくるとは全く思えないよ。
全体の中で、侯爵夫人の分量があそこまでになるなら、
最初からもう少しスポットライトが当たるように書き込んでおかないと駄目じゃない?
単に点景人物だと思いました。

そしてファブリス。この長さの小説の主役を張るには癖がなさすぎないか……。
貴族で性格が良い美男子。……もう、こう書いただけで「あれっ、シンプルすぎ?」と首を傾げる。
それはアリョーシャが美男子で善良なのとは何かが根本的に違っている気がする。
それにアリョーシャは主役――らしい、と言っても、狂言回し系統だしね。
ファブリスは狂言回しにしては行動が落ち着かないし、主人公というには
キャラクターがあっさりしすぎて、どっちつかず。

つーか、何が問題かというと、書き手の存在が何だか妙に前面に出すぎているのがイヤ。
例えて言えば、芸能記者が小説仕立てで書いたゴシップみたい。
主人公たちに感情移入できず、事態の推移を第三者的に見守るだけというか。
でも正直、他人のゴシップなんてどうでもいいんです、わたしは。
その場合、わたしはこの小説に興味の持ちようがないのではないか?

フランス的エスプリで話を書くと、こうなるということなのだろうか。
それとも訳の問題なのかねえ。
無理くりいえば、「失われた時をもとめて」の軽さに似てると言えないこともない……か?
が、あっちは偏執的な詳述が特色になっているけど、こっちはさっぱりしているので、
ゴシップ感が強まる気がする。

それに加えて。

エンディングのドタバタぶりは、ありゃ一体何ね!
まるで「撤収!」と声がかかったようだった。最後は半ページで話が終わるんですからね。
あり得ないよ。

だいたい敬虔で信心深いクレリアが、聖母マリアに誓った「わたしの目はあの人を見ない」という
誓いはいいとして、その後、いろんな理由をつけてファブリスを見まくりだし会いまくりだし、
不倫で子供まで作っているし。欺瞞がすぎるわなあ。それで高貴で純粋な人扱いされても。
しかもそれを大真面目に「見ないと誓ったのだから暗闇でしか会えない」。
……おい。じゃあ肉体関係は誓いを破ったわけではないからいいというのか。

最後まで馬鹿にされたような小説でした。
そしたら、……解説を読んで疑問が半解した。氷解とまではいかん。半解。
素人作家なんですね、スタンダールって。口述筆記で書いて、最後は催促されたから撤収したんだって。

まあそういう経緯ならゴシップ小説っぽいのもバランスが最悪なのも、
読んでいて共感出来ないのも、しょうがないかもしれんけど。
――これを何でイケザワが推薦するのか。推薦する理由を控えておけば最善なんだが、
そこまではメンドウでやってないから、どこに美点があるのかわからない。

だって別に貴族社会を上手く描けてるってわけでもないじゃん。
大人組(サンセヴェリーノ侯爵夫人とモスカ伯爵)の恋も軽い軽い。表層。
全てが表層的に始まって終わってしまって、一体どこが見るべきところなのかさっぱりわからん。
いいの?これで。納得できないっすよ。

次の文学系は、小川洋子激賞のミシェル・トゥルニエ「魔王」予定。
まあトゥルニエは前に何かを読んだことがあるからな。
その時も、ふーん、という感じだったので今回もやっぱりそんなもんだろう。
あんまり期待しないで吉かもしれない。

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あれ?読んだの何版だっけ?

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