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◇ 竹下節子「レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説の虚実」

いかにもなタイトルなので、いかにもな内容だと思いきや。
いや、たしかに内容はいかにもなのだが、けっこう説得されてしまった。

「現行のダ・ヴィンチのイメージって、相当作られたものですよ」
こういうことは誰でも言いそうだが、変にもったいぶらず、
淡々・さくさくっと語るので、「そうかも……」と思わされる。

ダ・ヴィンチといえば、
公証人の父と身分の低い母との間に生まれた私生児で、幼少時肉親の愛に薄く、
それが性格形成に影を落としている。
という話が基本。

だが竹下節子は、資産家の祖父母に初孫として育てられたレオナルドは、
孤児や修道院等に預けられっぱなしの子供も多い当時の状況を考えれば、
むしろ“愛されて育った”と言える可能性が高く、また実母が乳母として
授乳などを行なった可能性も十分に考えられる、と書く。

ま、実際のところ、竹下節子の言うことも事細かに反証を挙げた上で語っていることではないので、
この本だけで見る妥当性は通説とどっこいどっこいではあるのだが、
しかし最初のダ・ヴィンチ伝とされるヴァザーリの「ルネサンス画人伝」も多分にいい加減で、
その後の評伝の類がこのヴァザーリの著作に影響を受けていることを言われると、
――そうか。そりゃそうだよなあ。
と思う。

なにより、フロイトが出て来るとね。
竹下節子によれば、この幼少期のトラウマ云々、という話はフロイトが書いた小論が
影響を与えているそうだ。言われてみれば、全てをトラウマで解決しようとする
フロイトが実に言いそうなことではある……
げ。フロイトがらみのタワゴトを今まで知らずに信じ込んで来たのか。
そう思えば忸怩たる思い。その忸怩たる思いが反動を形成する可能性もあるから、
あまり竹下節子の言うことを鵜呑みにしないようにしようとは思うけどね。

この本の主題は、なぜ通説におけるダ・ヴィンチ像が幅を利かせるようになったのか。
これを西洋精神の文脈で解説している。
まあ、あまりに大きな話になるので、一個人が1冊でさくっと解説出来るようなもんと違う気がする。
でも面白くは読めますな。眉に唾をつけながら読んで、ちょうどいいくらいかと思う。
……そう思いつつ説得されているのだが。ちょっとアブナイ。
梅原猛がアブナイのと同じようにアブナイ。面白い話にはどうしてもひきつけられますからね。

主題部分はわたしごときが要約出来るもんではないので、興味がある方は実際に読んで下さい。
……しかし、この本で彼女が盛んに使う「エゾテリズム」「エゾテリック」なる言葉、
日本語としては定着していないので、消化しにくい。
簡単に訳せば「秘教」「秘教的」のようだ。この部分いまいち。

ダ・ヴィンチに必要以上に神秘の衣をまとわせるのは止めようと――そう思いましたね。
「ダ・ヴィンチ・コード」だの、秘密結社のリーダーだのという話までは笑えても、
やはりわたしも天才神話のイメージには影響されている。
もっともっと現実的で明朗健康な、ダ・ヴィンチ像を描くべきなのかもしれない。

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でもヤツが描いたのが「モナリザ」とか「洗礼者ヨハネ」とかだから、
神秘的なイメージを助長するんだよなあ。
「白貂を抱く貴婦人」「ミラノの貴婦人」が代表作なら神秘的なイメージもつかないのだろうが。

……しかしわたしはこの2作品(「白貂」と「ミラノ」)をレオナルドが描くか?と昔から大変疑問。
他の作品――「岩窟の聖母」とか「聖アンナと聖母子」とかと比べて、
ちょっと雰囲気が違いすぎませんかね。
肖像画と宗教画(理想画)という違いはあろうが、描いているのは“人物”なわけで、
それであそこまで雰囲気が変わるかねえ。

スフマート技法が強調されてないから?背景が黒色だから?巻毛じゃないから?
「ジネヴラ・デ・ベンチ」なら、若描きでこれなら後年「モナリザ」に繋がりそうだけれども。
「白貂」、手が「モナリザ」に似すぎているのも、むしろ作為的に感じてしまう。
この女性、けっこう手が大きいですよね……

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