彼は一体なぜこの話を書いたのだろう。
日本の高校生たちと、迷いこむように現れたユーゴスラヴィア人の少女の青春小説。
以前内容紹介を読んで「ユーゴスラヴィア人と現代日本の高校生にどんな接点が?」と長らく謎だった。
実際に読むと、――でもちょっと無理があるんですけどね。2ヶ月も見知らぬユーゴスラヴィア人を
自宅(旅館経営とはいえ)に住まわせるというのは。しかも突然。
話として無理を感じる場面は若干あった。
特にミステリ部分は、そもそも謎解き自体がオプションなので(と言ったら米澤穂信は不満だろうか)
取り外し可能な感じ。まあこういうオプショナルなパズルというのもこの人の持ち味だけど。
青春小説として読み応えがあった。やはり上手いな。読ませる。
軽く書いているが、作者本人が書きたいこともちゃんとあるというのを感じるから。
今回はユーゴスラヴィアの激動を書きたかったようだ。ただ、舞台は日本から離れないので、
あくまでも遠くから見ているユーゴスラヴィアという馴染みのない国への視線。
作中年代は1991年の夏。まさにユーゴスラヴィアの崩壊が始まった時を書いている。
米澤穂信がこの作品を発表したのは2004年だし、ユーゴスラヴィアについての参考文献には
2000年前後のものが多いので、書いたのはその頃なのだろうが、
――なぜその時、こういうものを書こうと思ったのか。
思いついたアイディアを何年も温めておくというのはごくありふれたことだろうけれど、
なぜこの時?なぜこんな風に?
というのは、そのユーゴスラヴィア人の少女に対して作者の共感を感じるから。
単に素材としてではなく。何か個人的な体験がなければ、こんな風に寄り添えないのではないかと
感じるくらいに。
マーヤ(というのがその少女の名前)は“ユーゴスラヴィア”の文化を作ろうとしていた。
その国は元々6つの国が寄り集まったもので、1929年に成立。
だが民族も違えば言葉も使用文字も違うそれぞれは、なかなか1つの共同体になり得ない。
しかしいつかは1つの国になる、将来のその一助として、日本を含む外国の生活を体験する。
それがマーヤの目的だった。
そういう設定が、――なかなか頭の中だけでは思いつかないものではないかと思ってね。
それとも頭の中だからこそ思いつくのか?
とっかかりは、もしかして6つの国で構成された共和国というところかな。
現実には、少々突飛な設定だと思う。父親が政府関係者で色々な外国を見て回っているというのは
ありがちだが、その父親が大阪にいて、娘だけがとある地方都市にいる日本人の知人に2ヶ月間
預けられる手はずになっており、だがその町へ来たら知人は死んでおり、
知人には家族もいないため頼る人がないというのは。
そういう場合、どう考えても大阪にいる父親に連絡を取らないのは不自然だ。
家族がいない男性の家に17歳の娘を預けるのは、自他共に気がねをするのではないか。
最低でも、密に連絡を取り合うのが普通だろう。
……など、色々つつきたいところは何ヶ所かある。
一番乗り越えられないのは、語り手である主人公が、
崩壊が始まっているユーゴスラヴィアへ行きたいと思うほどの情熱を持つところ。
そんなアツイ人間であるようにはどうしても思えない。
ここでノレなかったら、興ざめもいいところだけど、
何しろ彼は、人間のタイプ的には小鳩君みたいな人なので。
そういう惜しい部分がありつつも読んで満足した。少し痛みを感じるけど、いい話だと思った。
米澤穂信に訊いてみたい。この話を書くきっかけは何だったのか。
しかしこの話でタイトルが「さよなら妖精」というのはどうかね。
わたしはいまいちじゃないかと思うね。
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