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◇ ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」

この甘さは飾り砂糖かな。軽やかさを例えるならば、木琴か鉄琴のあのコロコロとした音か。
きらきらと転がるようなこの話は、色鮮やかなビー玉か。
いや、ビー玉よりももっとはかなく、そうか、うん、シャボン玉。
……と思ってよく見てみれば、タイトルが「うたかたの日々」。
タイトルですでに言いつくされている。あえて例えを考える意味がなかった。

と、最初から自分が遊んでいる状況で言うのも説得力がないのだが、
この作品を「言葉遊びみたいな文体」というのはなんか違うと思う。
なぜ突然「言葉遊びみたいな文体」が出て来るのかというと、
いや、単にわたしがそういう言い方をしているこの本の紹介文を読んで、
食指が動いたというだけのことで。

この作品は言葉遊びだろうか。
ああ、違うね、「イメージ遊び」の方がより近いね。
もちろん小説においては、イメージも言葉によって形作られるもので、
その意味では言葉遊びという言い方になるのも仕方ないのかもしれないが……
詩には近いけれども詩ではない。むしろ近いとすれば抽象画。
イメージを手玉に取る。

ところどころで山尾悠子を思わせるようなイメージの組み合わせがある。
しかし彼女の場合は“幻想”で、ボリス・ヴィアンでは“遊び”が強くなるのは、
彼の文章には軽みがあるからだろう。
山尾悠子の場合は軽みはない。一語一語を選んでは立ち止まって時間をかけて
文章を有機物に生成していく感覚がある。
まあ軽いからといってさくさく書けるというもんでもないんだろうけど。
イメージ=心象は、言葉とはイコールでは全くない。錬金的過程が必要。

コランとクロエ。
お互い同士の関係性が最後まで(あまり)損なわれないままなのは重畳だが、
わたしとしては、前半の甘さのままラストまでいってくれても良かったと思うのだが……
後半の暗さがどうもね。暗くても美しいんだけども。
でもこの感覚的な文章は、きらきらした幸せな輝きを持ってこそ活きる気がするなあ。

感覚なので、この文章が合わない人は合わなかろう。
訳が重要ですよ。今回の訳者は伊東守男なる人。わたしは気持ちよく読めたので不満はない。
「日々の泡」というタイトルでの別訳もあるらしい。
読み比べも面白いだろうが、……そこまで付き合うほどではないかな、わたしは。
マンガもあるらしいけど、この作品は文章がお手柄なので、マンガにするとその部分が
活きるのかどうか疑問だ。

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ちょっと片岡義男を思いだしていた。
わたしは数年前に一冊読んで嫌だったので、それだけの関係なのだが、
「感覚的な文章」という意味ではボリス・ヴィアンも片岡義男も同系列なのかなあ。
好きか嫌いかだけで。うーん。
そうなると片岡義男を「かっこつけてるだけで中身がない!」と非難することも出来ないのかなー。
いや、でもやっぱり……。

あ、そうそう、解説が小川洋子だったのはちょっとびっくり。

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