この話、結末はもしかして夢落ちで終わるのでは?と思いながら読んでいた。
だって話が不自然だよね。なんで主人公が探偵なのか。探偵が出てくるような話ではないはずだが。
なんで20年も経ってから行方不明の両親を探す?そしてなぜ生きていると思える?
主人公に対する周囲の人々の期待というのも過剰な気がするなあ。
言わば、映画「シャッターアイランド」のような奇妙さ。
見過ごせば見過ごせるような。だが、作者は何ページか毎に読者の袖をつと引っ張って引き留める。
相変わらず信用できない書き手。
今から駆け落ちをしようというのに待ち合わせ場所に着いてもタクシーを待たせておくこと。
駆け落ち相手に何も告げずに危険地帯に探しに出てしまうこと。
戦闘地域に無謀に踏み込んで行くこと。
アキラとのあまりにも小説的な再会。
別れとも言えないくらいあっさりしか書かれないアキラの退場。
この流れは総じて夢のストーリー展開にとても似ている気がする。
波乱万丈の夢というのは、冷静になって考えてみるとどうしたってあり得ない展開なんだけど、
夢の中ではある程度納得しているでしょ。
わたしはこれを、カズオ・イシグロが実際に見た夢を基にして書いたとして驚かない。
最後の最後にふとパフィンが目覚める。そんなシーンを思い描くことは容易だ。
ところでタイトルはどういう意味なんでしょう?
わたしたちが孤児だったころ。孤児は、わたしが思えている限りではこの作品中に3人いる。
主人公、サラ、ジェニファー。アキラも、親の愛を感じないという意味では孤児に近いか?
しかし、この孤児たちの結びつきも――非常に危うい、かげろうの翅が触れ合う程度の頼りなさ。
特にジェニファーがよくわからないなあ。
他の人物と比べて場面が少ないわりに印象的に描かれているとは思うが。
主人公が彼女のことを色々考えるシーンもあるけど、いかにも取ってつけたようで、
話の中で根っこのある人物には思えない。
おそらくカズオ・イシグロの登場人物は、精神的な意味で手を繋いだり抱き合ったりはしない人々。
それぞれ孤独で、別の方向を見ていて、その視線は時に交差することがあったとしても
同じものを見ている幸せな二者にはなり得ない。
この距離感、ふわふわして奇妙、少し不気味でちょっと悲しい距離感は、
絵画の世界でのポントルモをなぜか思い起こさせる。
今回の訳はカズオ・イシグロの特徴である静謐さが今ひとつ足りない気がするが、
他と比べてストーリーにわりと動きがある小説なので、こんなもんなのか?
早川書房
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アマゾンのレビュー、英語版を読んだ人も感想を書いているが、
訳されたものは既に別物になっていると思うので、英語版を読んだ人は
英語版のレビューに書いた方がいいのではないだろうかと思う。
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