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◇ 恩田 陸「夜のピクニック」

ちょっと語っていいですか。

うちの高校には強歩大会という行事があった。
歩く距離は30キロくらい。平均より若干早いわたしの場合で、ほぼ5時間かかったと思う。
朝8時に学校を出発する。山の中腹にある高校だったから、その山を下まで降り、
広瀬川沿いを上流へ向かって、国有林に入る。かなりアップダウンのある山の中をしばらく歩き、
太白山の近くへ出る。そこからはアスファルトの道路を、一部名取市も通りながら延々と、
また山の学校へと帰って行く。

歩くのは嫌いじゃなかったので、強歩大会も決して嫌な行事ではなかった。
……だが、やっぱり30キロ歩くのはきつい。
途中で止まって物を食べると余計疲れるから、だいたい13時頃になるゴールまで
お昼も食べない。ただひたすら歩く。
着いた後、ジャージから私服へ着替える時には体がガチガチで、「うわ、体動かないよ」
着替えながらよろめく。

結局3年間、強歩大会は同じ友だちと歩いた。

我々は小学校から同じ学校だった。
昔からよく一緒に歩いた。学校帰りに歩きながら色々な話をした。
歩きながら話すのは向かい合って話すのよりずっといい方法で、特に構えなくても
人生を話題に出来た。小学生なりの、中学生なりの、高校生なりの人生。

強歩大会では、彼女はアップダウンのある国有林のエリアが大の得意で、山道に入ると急に走りだす。
「なんでコノヒトはこんな山道を走るかね……」と思いながら後を付いていく。
限界になると歩いてもらう。しばらく経つと彼女がまた「行くよ」と言って走りだす。
そのかわり、アスファルトの平地になるとわたしの方がペースを上げる。
そんなことを3年間繰り返した。

普段の登校時間よりだいぶ早い時間の校庭。
朝の光がまだ残って、出発する生徒たちを照らす。
蟻の行列のように県道を歩く大勢の小豆色のジャージ。
ハイキング感覚で歩ける川沿いの道。
知り合いを抜かしたり抜かされたり。一部の運動部を除いては、あまり順位は関係なかったけど、
それでも冗談で通せんぼをしたりして。
後半、家の近くを通るので「ああ、このまま帰りたい」と毎年言っていた。

……という自分語りを誘発してしまうほど、ノスタルジックな物語でした。

※※※※※※※※※※※※

満を持して初恩田陸。読むのを非常に楽しみにしていた。
正確には「恐怖の報酬 日記」を以前に読んでいるので、小説としての初。

とても心地よく読めた。
いい意味でなんら特筆すべきこともないような、尖らない、モデラートな、生真面目な小説。
淡々と書きつらねて、ひっかかるところがどこにもない。見事に中庸な。衒いのない。実直な。
――この道具立てで、そう感じさせるところが技だな。

はっきり言って、道具立てはずいぶんと込み入らせている。
作者はそういうのがシュミなんだろう。
歩行祭の説明もけっこうしつこいし、主人公二人の関係性も若干複雑、登場人物も
必要以上の数を出していると思う。情景描写も多いつっちゃ多いよね。
……骨部分だけ見れば十分しつこい話になりそうなのに、さくさく読めて心地よい。
上手さだろう、これは。

だがやはり、このシチュエーションは反則だよ、とは思う。
こんな話を読まされてノスタルジーに浸らないわけないんだもの。
そりゃ我々は距離も短く、昼間だけしか歩いていないし、それほど劇的なことは起らなかった。
でも読んでいるうちに、あの頃の声が耳に聞こえてくる。
そう、こんな会話をしていた。誰かとの微妙な距離感を持てあましたこともある。
遠くから見つめたことも、内心の自問自答も、終わってしまう切なさも覚えている。

青春でしたな。

しかし、多少は粗も目についた。
わたしは自然描写と心情を重ねる書き方が本来はとても好きだけど、
この本の海沿いのシーンは少々長すぎると思った。海なら海、夕暮れなら夕暮れ、
どちらか一つで良かった気がする。

それから、杏奈の弟は日本在住にしといた方が話に無理がなかったね。
そもそも杏奈のエピソード部分は、普通に考えて、かーなーり無理!なんだからさ。
わたしは嫌いじゃなかったが、登場人物はもう少し少なくも出来ただろう。
だが、要らんのじゃないか?と思っていた高見光一郎が最後に出て来た時には、
「ここでこう来るのか!」と笑った。

夜のピクニック (新潮文庫)
恩田 陸
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こういうノスタルジックなのばっかり書いてたら、反則だ!と怒りますけどね。
(怒る理由は全くないわけだが)
でも恩田陸はたいそうバラエティに富んだ作家らしい。……今後色々読んでいくつもりなのだが、
大丈夫かな。ホラーとかもあるそうだし。

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