キライだキライだと言い続けている村上春樹の短編集。
これは、トヨザキさんと池澤夏樹が褒めていた。
彼らが褒めていたから言うのではないが、この本はまあまあイケるかな。
多分わたしは、村上春樹の「主人公への甘やかし」がすごく嫌いなんだよね。
「どんだけ自分に甘いねん!!」といつも半激怒(?)。
でも短編集だと、主人公を甘やかす暇もなく話が終わってしまうので、その部分は普通。
そうすると村上春樹のいいところも多少は見る気になるわけで……。
この人はスムースに書ける人だね。
――細かいことだが、わたしはここで自分の「スムース」と「スムーズ」について述べておきたい。
あくまでも個人的な言葉の使い方の話。
「スムーズに書く」といった場合、これは日本語になっている。多分実際の書く動作、進行を表す。
いわば筆を止めずに書ける。着々と。コンスタントに。
結果、書かれたものは平易で肩の凝らない文章。
「スムースに書く」とは今回の場合、書かれたものについての感触。
洗いざらしの木綿の感触、新しいスエードの革の感触。
毛皮やビロードほど指先に快感を与えないけど、触った時にはなにがしかの快感はある。
スムースとスムーズ、(あくまで私の言語世界では)似ているようで違う。
「スムースな文章」の魅力を感じた。
はるか昔に読んだ短編集は「カンガルー日和」と「パン屋再襲撃」。
これは作者が若かったこともあるんだろう、奇妙な味わいが強い。
あざといと言おうか言うまいか迷う程度の衒いがある。
それに比べると「レキシントンの幽霊」はぐっと大人……か?
あんまり「僕が」「僕が」と言ってないから。自分大好き感が希薄。
三人称で書いた小説もあった。読んでみたいと思っていたので読めて良かった。
女性の一人称もあった。わたしが読んだなかでは目新しいので読めて良かった。
でもまあ「経験として読めて良かった」どまり。
結局表題作の「レキシントンの幽霊」だけかな、好きだったと言えるのは。
これは好きだ。落ち着いていてスムース。
最初にこれを読んでいたら、村上春樹をちょっと好きになったかもしれない。
ただ、物語の最初に「これは実話です」と書いてあるのはかっこ悪いと思う。
現在読んでいる「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で村上春樹は終わると思います。
わたしは縁なき衆生。もう彼との軌跡は交わらずとも良い。
――読み終わった「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の感想。
なんで村上春樹って、結末部がこう適当なんだろう。
やれやれ、って感じだよ。
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