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◇ カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

カズオ・イシグロ。読む前はヘンリー・ジェイムズやイーヴリン・ウォー的な
“ど純文”だと思っていた。
といっても、ヘンリー・ジェイムズもイーヴリン・ウォーも読んだことがないので
彼らが“ど純文”かどうかもわかりません。なんとなくイギリスで連想の糸が繋がったのかも。
(でも実は、単に「日の名残り」の映画監督の名前がジェームズ・アイヴォリーであることが
多大な影響を及ぼしているんだと思う。)
ついでに言えば、このタイトルからは新川和江の「わたしを束ねないで」も連想する。

だがこの作品、半ばまで読んで驚いた。

――この話でこの設定!?
ひっくり返りそうになりました。初めから、奥歯に物が挟まったような書き方をしている、
とは思っていたんだよ。思わせぶりな台詞。何か別な意味を隠している単語がちらほら顔を出す。
読み進めていくと――多分単行本は100ページあたりで爆弾が炸裂する。
唖然。なんつーことをしてるんだ、カズオ・イシグロは。普通こういう話を
こういう舞台背景で語らないでしょ。この設定はまるで……

が、この件については語らないことにしよう。
どうも世間の皆が力を合わせて、このことは口をつぐんでいるようだ。
本自体の裏表紙に書かれている内容紹介でも触れられていないし、
アマゾンで確認したけど、粗筋紹介にも書いてないしね。

それに、この本で重要なのは設定ではない。

この本の要諦は、その着実で繊細な心理描写の細やかさ。
読みながら、少しでも力を入れれば破れそうな薄い薄い紙のページを丹念に数えている気分だった。
多少の緊張感はあれども不快ではない。
……不快ではないが、常に注意深くあることを求められるのでちょっと疲れる部分もある。

350ページたっぷりあるわりに、登場人物は数少ない。
主要人物はほぼ3人と言っていい。
一人称の主人公キャシー。その親友であり――競争相手と言えばシンプルすぎる――
潜在的敵対者である女性ルース。キャシーの親友でルースの恋人、トミー。

もうこの3人だけの時点で既に、張られた糸は交錯している。
キャシーとルースの関係性は親友。しかし親友でありつつも、同性であれば感じることのある
張り合う気持。さらに言えばトミーを間に挟んだ時の、また別の色の糸。
キャシーはトミーの良き理解者。しかし彼の恋人としていたのはルース。
が、精神的な繋がりという意味で、トミーの一番そばにいたのはキャシー。
キャシーは述べられないけれど、トミーとルースの間にもまた何本もの
違った色の糸が張られていたことだろう。
その張られた糸は丹念に丹念に手繰られ、キャシーによって叙述される。

さらにこの3人が置かれた状況は、前述した通り唖然とするしかないもので。
彼らを取り巻く人々がその立場によって遠く近く、糸を張って彼らをからめ取って行く。

おそらくは、運命のままに生きたということになるのだろう。彼ら3人は。
フィクションの世界においては平凡な人生。彼らの立場は平凡とは言えないわけだが、
凡人ならざる者の平凡な人生の話。
しかし凪いだ海の底ではどんな変化が、変容が起こっているか――
目には見えないけれど、そこには“細部”が常にあるのだと、
いや、どこに目を凝らすとしても目を凝らしさえすれば“細部”はどこにでもあるのだと、
この作品はわたしにそんなことを思わせた。

正直、内容自体にはわたしの琴線に触れるものはなかった。
しかしこの作品は繊細さの揺るぎない完成度を持つという意味で優品。
読んでみようかと思っている人には迷わずお薦めしたい。
30人に1人くらいは、大好きだと思う人がいるような、そんな話だと思う。

わたしを離さないで
わたしを離さないで

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