3年ぶりくらいの池上永一。しかしこれはエッセイ集。
壮絶なエッセイだった。
波乱万丈の子供時代。この“波乱万丈”は、主に内面生活において。
環境的に、どうもお母さんがかなりエキセントリックな人だったようで、
なんだかとても気の毒。こんな子供時代を送って、よくまあ無事に生き延びたなあ。
こういう人がああいう作品を書くのは、実に納得出来る。
5章に分かれていて、章ごとに多少毛色は違うが、その中の一編の
「読書と教育の誤解」というタイトルの一文に、う。と胸を突かれた。
内容自体は、本を読んだからと言って頭が良くなるわけじゃないんだぞ、という
ありがちな話なのだが、
本の楽しみとは、ここではないどこかに飛んでいける冒険につきる。
旅行の楽しみと読書は近いものがある。僕は本で冒険をし、知らない世界に旅をした。
これを読んで、ああ~~~~っ!と頭を抱えたくなった。
いや、知っていました。“ここではないどこかへ”憧れて旅に出ていることは。
何者でもない者として歩き回り、極微な自分の思考の世界に埋もれる。
日常からは遠い、自分の現実生活とは接点のない物に囲まれて、透明人間でいられる。
読書も、知っていました、現実逃避だということは。
だからこそいかにもありそうなことを書いている“日常小説”には興味がないのだし。
せっかく読むのなら、日常では有り得ない、作りごとの世界を楽しみたいぞ。
――だがしかし、旅と読書をそういう風に直接つなげたことはなかった。
いや、池澤夏樹あたりがこういったことはどこかで書いててもおかしくない気がするが、
わたしは今回のこの池上永一のエッセイで胸に落ちた。
旅好きと読書好きの根っこはこんなにも同じか……。そうかー。そうだなあ……。
さらにこの一文にはもう一つ“ああ~~~~!”があった。
本と教科書は同じ活字だが、中に含まれる快楽物質に違いがある。快楽を重視した本に
含まれる物質は主に、暴力や怠惰、恐怖と叫び、理不尽や反逆、差別と貧困、などの成分だ。
これらは人間の蜜と言っていい。僕はこれをチューチューと蚊のように吸って
心の肥満児になった。とても健全だったとは今も思っていない。
“心の肥満児”!!
過度な読書は心が不健康になる。病気になる。――それは前から思っていたのだが、
なぜ不健康になるのかはわからなかった。
そうか……。読書は心を肥満させるのだ。
適度な読書は養分になる。読まないよりは間違いなく読んだ方がいい。
が、肥満するまで読むと、やはり不健康にならざるを得ない。そうか、肥満か……。
すごく納得した。病気というより肥満と言った方が実態にあっている。
肥満体形で別に病気にもならず機嫌よく暮らせる人もいるんだし、そこに脂肪をつけていたお陰で、
遭難した時に助かる人もいるだろう。が、ちょっとバランスを崩すとやはりまずいことになる。
そして一度肥満してしまうと、脂肪を落とすのはなかなか大変である……。
読書=肥満説。賛成する。
(ちなみに引用の前半部分はあまりピンとこなかった。わたしの成分表とは一致していない。)
ささやかな処に反応したが、ささやかでも引っかかる部分がある本を読めたのは幸い。
最近イマイチな本が続いたのでねえ。
でもさー、この人はこの3年ちょっとの間にこれと「テンペスト」しか出してない。
「テンペスト」は上下巻の大作だが……もう少し出さないと、専業作家として大丈夫か?
がんばって欲しい作家なので、買ってあげるべきなんだろうけど、
……わたしは小説は、よほどのことがないと読み返さないし、読み返さないとわかってて
買う根性は……。すまん。
ちなみに「テンペスト」は図書館の待ちが数十人いるので、後日に回す。(3年後くらい。)
本人がこれを読んだら「買え!」と絶叫するだろうなあ。
うん、じゃあ次に図書館から借りるタイミングが来るまでに文庫になったら、買おうかな。
ところで、本書の内容にやどかりもペットボトルも出てこなかった気がするのだが、
なぜこのタイトルなのか?
コメント