まずは反省。
日本語の解説を何とか入手してから行くべきだった。
わたしは基本的に、絵はそこにあるその一枚で勝負すべきもので、
絵についての知識は絶対不可欠のものではないと思っていた。
が、やっぱりこういう類の絵になると、解説は必須でしたな。
英語の解説は美術館側から貸してもらえる(売店では安いパンフレットを売ってもいる)が、
わたし程度の英語力で苦労して解説を読み、内容の30%を理解したところで絵を眺めても、
それがさっぱり鑑賞の助けにならない。じっくり読んでじっくり見ようとすれば、
それはそれは時間がかかるので、20枚をその調子で見る気力がない。
次に駄目出し。
その1。
ずいぶん汚れている。クリーニングをしなければ。
おそらく、完成当時より2段階か3段階くらい暗い色になっているのではないか。
ミュシャの色が損なわれていては、その魅力は半減どころではないだろう。
その2。
狭い。展示室が狭すぎる。
連作20枚のうちには、色々な大きさがあるが、大きいものだと810×610、
小さいもので440×404か。
一応それなりに距離をとって見られるものはあるが、ゆったりとまでは言えないし、
見上げる位置でしか見られないものも多い。
この2点は、どうにも解決出来ない難点。
それらを踏まえた上で、以下の感想。
せっかく現物を目の前にしているのだから、解説は捨てて普段の信条通り、
「一枚の勝負」にかけてみたが……そうするとどうも粗ばかり目についてしまった。
「色が汚いよな」と思う。次に「この絵をこの大きさで描く必然性はどこに……」と思う。
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/mucha.html
(この場所の一番下に、「スラヴ叙事詩」の20枚中7枚がある)
1枚目の「原故郷のスラヴ民族」。
上記のサイトだと赤は赤に見えるし、中央がかなり白っぽく明るい感じだが、
実物は前述の通り汚れているので、もう闇の塊にしか見えない。
もっとも画題が「敵の蛮族の襲撃を受けるはるか過去のスラヴ民族」なので、
参照サイト上の明るさまでは必要ない気がするけどね。
これを610×810で見る……。
そこまでの大きさを必要とした絵だろうか、これは。高さ6メートルですよ。
6メートルの絵を一枚の絵として見るためには、どれだけの空間が必要だと思う?
はた迷惑にもほどがある!ミュシャよ、見る人のことも考えて大きさを設定しろ!
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大きい絵は大きいというだけで、特殊な構図を必要とするものだと思う。
以前、小布施に北斎の天井画を見に行ったことがあったが……

……これが、天井の位置が近すぎて、実際に見ると実に大味な感じで。
ハガキになったものとか、テレビ画面で見るもの(わたしが最初にこの天井画を見たのは
テレビCMだった)の方が、なんぼかきれいだったという経験が。
「スラヴ叙事詩」もその類だなあ。
大きな絵、といえば「カナの婚礼」がまず思い浮かぶ。
これはもうほんとに傍迷惑な……677×994。
こんなん描いてどうする!と言いたいところだが、これは当時として当然のことながら、
注文があって描いたもので、完成品を置く場所も、部屋の大きさも既に決まっていた。
つまり「カナの婚礼」には必然性があった。大きな絵を描かなければならなかったのだ。
「ナポレオンの戴冠」も大きな作品。
そんなん止めておけ、と言いたい630×970。
とあるサイトで、畳換算だと39畳だとありましたが、ほんとですか。
この絵の必然性は、やはり皇帝ナポレオンの威光もあるだろうけど、
人物の多さ、それから衣裳を詳細に描きたかったということもあるだろうね。
ルーブルのサイトで拡大して見られる場所があるのだけれど、
うーん、さすがに衣裳の模様まで手を抜かずに描いてる。
巨大空間のためでもなく、群像でもない大きな絵として印象にあるのは、
「ジェーン・グレイの処刑」だが。
これは246×297。せいぜいこの程度だろう。常識的な範囲は。
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わたしはこの連作の大きさに、ミュシャの勇み足を感じている。
「スラヴ叙事詩」――テーマからして彼のライフワークになることは間違いがない。
ライフワークとして祖国のために描こうと思った絵なら、必要以上に力が入るのも仕方がない。
そこにはおそらく、祖国を長い間離れて暮らした人の、より一層の愛国心があって、
また、飽きるほど商業的な作品を書き続けて富と名声を得た人の複雑な心境があって、
もっと言えばパリ時代の評価ほど祖国で認められていないという不満もどこかにあっただろう。
その辺が必要以上の大きさをミュシャに選択させたのだと思うが、どうか。
もっとも、この第一作だけで判断するのは妥当ではない。
彼はこの連作を、当初はおそらく全て同じ大きさで描こうと思ったのだろうから。
大きな絵は大きな展示場所か群像表現のために。
そしてたしかに第二作目は群像表現である。
二作目は「RUJANAの祝祭」(ルヤナ?ルハナ?画像が探せない……)
これはこれでもかというほど人を書いているが、構図としてどうだろうか。
日本の絵巻物でも異時同図法を多用しているのだし、ミュシャは構図の斬新さでも
売った人なのだから、その部分はむしろ評価すべきなのかもしれないが、
いや、これは上半分があたまでっかちすぎないか。
とてもバランスが悪く見える。
加えて、解説によると下中央の2人の人物はこの祝祭に同意してないとあるのだが、
その部分があまり伝わらない。その伝わらなさは、やはり構図に起因していると思う。
上半分があんなにごちゃごちゃ詰め込まれては、2人の人物の微妙な孤立を感じることは難しい。
3作目が「ロシアでの農奴解放」
……なぜ時系列で描かなかったんだろう?19世紀半ばの話のようだが……
4作目は「The school of Moravian brethren in Ivancice」
上の空間が空きすぎていて、やっぱり大きすぎる、と思う。
ちなみにイヴァンチッチェはミュシャの生まれ故郷だそうだ。
……と、この調子で一枚一枚あげつらっても退屈なのでこの辺で。
正直、全体的に絵としては感心しなかった。
あの(商業的な)ミュシャが、商業から離れて描いた、渾身の力作を見るつもりだったのだが、
それが勇み足であり空回りに見えてしまった。
「祖国のために!」という熱意をどこまで評価出来るかで、印象は変わるのかもしれない。
わたしはその部分を、絵の良さに含めないので……
そういえば全く至近距離で見ていない。筆致を確かめるくらいはしても良かったはずだが、
逆に言えば、そうしたいという思いを起こさせなかった絵であった。
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しかし良かった点もあり、それは、
1作目、もう少しでムンクの「叫び」になりそうな自己崩壊寸前の恐怖の表情。
それにもかかわらず美しい星々。
11作目、暗い空を背景に静かにはためく白い旗。
この3点。
スラヴの歴史に精通していればもっと味わい深かったのは間違いないが。
展示場所自体もいまひとつ。
町のお城で、そのこと自体はいいのだが、もう少し建物を修復しないと……
何事も、やはりそれなりの器に盛られてこそ真価を発揮するものだと思う。
もう少しお金をかけてあげられたらいいね。クリーニングと場所代に。
小さい自治体では難しかろうなあ……
「美の巨人たち」スラヴ叙事詩の回

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