主人公であるディーナの造型が非常に印象深い。
女というより動物。強く野性的。体面を考えることも、周囲の思惑も、ほとんど彼女の行動には
影響を及ぼさない。獣の強さと凶暴さで周囲を支配しながら自分の人生を生きて行く。
彼女の前に、全てのものは好むと好まざるとに関わらずひれ伏すしかない。
彼女は幼い頃、自分の行為によって母親を死なせてしまう経験をしている。
不幸にも、そのこと自体を忘れてしまえるほど幼くはなかった。
父親の嫌悪と母親のいない孤独。捨てられた狼の子のようにディーナは育った。
彼女は粗暴だけれども美しかった。文学の素養はないけれど、計算は得意で、音楽に秀でていた。
ディーナは非常に若くして嫁ぐ。父の友人で、父よりもいくらか年上の男に見染められて。
だが妻になったからと言って――妻になること自体さえディーナを普通の女にはしなかった。
彼女は変わらなかった。狼の子であり続けた。
自然そのもののように、強くまっすぐ理不尽に生き、敵は踏みつぶした。
夫を死なせ――夫の営んでいた貿易の仕事を続け――家を支配する。
息子はいたが、ディーナは母ではなかった。妻でもなかったように。
ラインスネスは彼女の小さな王国だった。そこでは夫の老母が
(ディーナの意志に反しない範囲で)賢明に差配し、
息子の乳母を務めた女が、やはり賢明に、そしていくらかは神秘的にそれを補った。
実直な料理女。ディーナを絶望的に愛する作男。夫と前妻の間の息子。
夫の養子が2人。1人は敵で、1人は仲間になった。
そして、運命として現れるたった1人の男。
男も、やはり自然だった。ディーナとは違って良識ある人間の顔は出来たけれども、
矯められず、彼を屈伏させることは出来ないという意味において。
自分の思うままには――絶対にならない男。
その男を前にして、狼の子は自分の知るたった一つの解決法をとった。
※※※※※※※※※※※※
実は、下巻の後半はディーナがパワーダウンして、少々物足りなさがある。
が、全体的に読ませる本。起承転結のストーリーを楽しむのではなく、
川の中に入って、その水の流れを感じることを楽しむように、
ディーナの個性とその生き方に足を浸す。
文章が非常に細切れで、一文がせいぜい一行か、多くはそれ以下。
ほとんど常に「~た、~だった」でおわる訳文は、咀嚼しやすく読みやすい。
上下巻のわりに良い意味で大作感がなく、何の気なしに手に取ってページをめくると
するすると4、50ページは一息で読めてしまうような。
……一文が下手すると5行くらいにわたってしまう「ローマ帝国衰亡史」の著者である
ギボンと訳者である中野好之に、この辺のところを見習って欲しいよ。
5行は多いだろ、5行は……。
北欧の人の感性には、特異なものがあると思う。
と、わたしはトーベ・ヤンソンの「ムーミンシリーズ」と、トールモー・ハウゲン「月の石」、
一応デンマークだから北欧に入れていいか?と思うディネーセンの「アフリカの日々」だけで
語っているが。(いや、ディネーセンはやはりちょっと違う。)
この3作だけで語るのはあまりにも無理があるが、北欧の物語はどこか暗く、そして幻想的。
例えて言えば夜の虹。月虹とも言う。実際見たことはないけれども。
晴朗な青空の下の物語ではない。長い陰鬱な冬の間に熟成される物語。
あるいは白夜に生まれる物語。夜が醸した物語は、夜の成分を濃厚に含む。
そもそも北欧神話からして、最初に読んだ時にはやはり非常に特異に映った。
北欧神話に興味を持って読んだのは中学生くらいか。その頃だとギリシア神話しか
比較対象がないもんだから、どう捉えていいのかわからなかった記憶がある。
やはり風土が人を作り、人が物語を生み出すのだなあ。
フランス人がその血の中に抽象概念を濃く含み(わたしは「星の王子さま」を――以下略)、
ロシア人が体に大地の重力を感じ続け(わたしは「戦争と平和」を――以下略)、
日本人が常に心に湿気をまとわりつかせているように。
この本の原題は「DINA’S BOOK」。おそらくそれに引きずられて
副題がこうなったのだと思うが、これは不適当であるように思う。
副題から連想されるような話ではない。メイン・タイトルだけで良かったのにねえ。
この本は池澤推薦。池澤は好きな作家だが、彼の書評本から獲ってきた作品って、
ワタクシ的には、ほんとーにヒット率が低い。
10冊読んで、「まあ読んで損はしなかったかな」と思えたのが3冊しかない。
ヤツのお薦めはワタシには高尚すぎるんだよっ!
……アマゾンのレビューを見て苦笑した。このレビューの書き手もわたしも、
作品の文体に引きずられている。
そういう影響を読み手に及ぼすのは、いい作品だからこそだと思うよ。
いや、一概には言えないか?しょーもない作品でも、口調に影響を与えたりはするからね。
コメント