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◇ 岡田英弘「歴史とは何か」

うーん。どうだろ?

池澤推薦。「文章がもう少し練れていれば……」との留保付きだが。
でも内容については素直に評価しているようだ。
わたしは、と言えば眉に唾をつけながら読んだ。
今まで聞いたことのないことを、けっこうな断定口調で言っているところが少々うさんくさい。
トンデモではないか、という不安が心を過ぎる。
わたしはかなりの保守傾向なので、新説には相当に身構えて対することになる。

ああ、しかし、それにしてもそれにしても。
ここだけは「そうだったのか!」と頭を垂れたい部分があった。
もう、がっくり、という感じで。知らなかった。ほんとに知らなかった。
いや、何しろこの人が言っているだけかもしれないんだから、
正しいかどうかはわからないことではあるんだけどね。

それが何かというと――「歴史」認識の差異。

いや、それではあまりにもありがちな言い方過ぎて、さっぱりインパクトがないな。
この本の言い方に従って訂正しよう。

歴史のない文明があること。

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歴史好きとして、世の中に歴史に興味がない人がいるということは知っていた。
まあそれは当然。……こんな面白いものに興味を持たずにいるなんて、
他に何を面白がるのだ、というのが個人的な見解ではあるけれど、
政治経済好き(その他イロイロ)はその言葉をそっくりわたしに返すだろう。

が、歴史がない文明とは。いや、想像もしなかったねえ。
文明と歴史は、光と影のように切り離せないものという頭があった。

歴史がない文明として著者が具体的に挙げるのは、例えばインド。
インド人の精神には輪廻転生があり、そういう意味では歴史は循環する。
つまり内容は繰り返し同じなので、それを記録しても意味がない。
加えて、輪廻転生は人間界だけではなく、悉皆草木に及ぶので、
人界のことだけを記録することは意味を持たない。

あるいはイスラム文明。
イスラム教徒にとって、時は固定されず、一瞬一瞬が神の創造にかかっている。
神の意志ありきの時間について叙述するのは矛盾である。
ゆえにイスラム文明にも、基本的には歴史はない。

あ、その前に著者の歴史の定義をしっかり書いておかなければ。

   歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が
   直接体験出来る範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、
   叙述する営みのことである。
                        (岡田英弘「世界史の誕生」)

この人の場合、叙述することが歴史であるという定義らしい。
……この部分からしてわたしは留保なしに賛成は出来ないけど。
叙述する営みが歴史……。人間の動きそのものが歴史なんじゃないかなあ。
叙述されることなく、後世に残ることがなかったとしても。

ま、「歴史とは」の部分は、数学の定理などとは違って、唯一無二の定義を求めなくても
かまわないように思う。大事なのは、この人にとっての歴史とは~だ、だからこうなる、
というその後の論理の展開。

インドやイスラムが歴史がない文明かどうかという部分は留保するにしても、
歴史そのものの捉え方に非常な差異がある可能性に気づかせてくれたのは有難い。
いや、歴史解釈の差異のことじゃないよ。ある王様を名君と見るか暗君と見るか、とか、
この戦争は根拠があるのか単なる侵略なのか、とか、そういうレベルの話ではない。

たとえば、「旅」と言った時に、日本人のようにパック旅行をイメージするのか、
アフリカの砂漠の民のように、苛酷な砂漠を越える隊商の移動をイメージするのか、
そういう違いに基づいた言葉の違い。

言葉を考える場合、異言語間のそれぞれ内包するイメージの違いは常に気になるものではある。
それには気づいている。しかし自分の中では、それはあくまでも抽象的にしか
捉えられていなかった。
実際に「歴史」という言葉においてそれを具体的に考えさせてくれたのが手柄。
「歴史」と言った時に、わたしが想像もしないようなイメージを持つ人々も――多分いるのだ。

著者によれば、アメリカ人が歴史と言う場合、「誰もが知っている話」という意味だそうだからね。
いや、それだけの意味しか持たないわけではなかろうが。

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その他、わりあい素直に面白いと思えたのは、
「自前の『歴史』という文化を生んだのは、地中海文明と中国文明だけだ」という部分。
そして中国の「歴史」においては正統の証明として歴史の存在価値があるということ。

ああ、まあ、言われてみれば。
中国の対抗文明であるところの日本――とか安易に言うと、自分でもなんか居心地が悪いが、
中国文明の影響を強く受けた日本にもそういう部分はあるもんねえ。
日本書記・古事記は正統天皇の系譜を記述する目的のものではあるし、
通史を考えた場合、正統という意識ではなくても主流はどこにあるのか、と思いながら
見て行く見方になりがちなのは否めない。
まあ、因果関係で歴史が成り立ってきたという考え方が普通であるなら、
主流を探すのは無理のない思考回路ではあると思うけどね。
(ただそれを「無理のない」と感じるのは、やはり一面の真実でしかない可能性がある)

あと、アメリカについての前半の記述は、妥当かどうかは別として面白かった。

が、この本、後半に行くに従って暴論というか、暴走が激しくなってねえ……
1ページに何度も留保をつけたくなる記述がある。さすがにわたし程度が即、具体的に
突っ込めるようなアサハカなことはそんなに書いてないんだけど。
「え~~~?」「いやー、もう少し根拠が欲しい……」「独断ではないか……」
と、どうしても思わざるを得ないから、前半と比べれば後半は評価が落ちました。
前半はけっこう面白い。一読する価値はあると思う。眉に唾をつけながら。

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目新しい、変わったことというのはどうしても目立つし、
その新鮮さには大いなる魅力もあるけどね。
でも新しさだけに引きずられていくのも御免蒙りたいな、という気がする。
一つ一つ検証していく能力もそこまでの興味もないから、結局今後のスタンダード待ち、
という日和見にはなってしまうんだけれども。

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