私事だが……
知人が四方山話の中で、「仏像」という言葉に反応した。
「なに?仏像好きなの?」と尋ねると、「癒されたいの」との事。
「じゃあ何かみつくろって持って来る」と言ったはいいものの、家に帰って蔵書を見ると、
意外に写真主体の仏像の本がない。とんぼの本あたりで何か持っていたような気がしたのだが……
癒されたい人に、文字が主体で写真が白黒の仏像の本を貸してもあまり意味がないだろうしなあ。
何か一冊買っておくか、と思い、今回購入したのがこれ。
アマゾンで買い、手元に来て中身を確認したところ、期待通りの内容。まさに欲しかったのはこれ。
仏像の選択も「飛鳥寺の大仏が入ってて欲しかったなー」と思う以外は満足なラインナップだった。
……こういうビジュアル本を実物を見ずに買えるのは、やはりこれまでの経験があるからだ、と
ごくごく微妙な部分で自己満足。ふっ、的確なチョイスだったな。
誰も褒めてくれないので自分で褒める。
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アホな話はおいといて、中身が良かった。
三次元であるところの彫刻を、二次元である写真で見ることにはだいぶ制限がある。
伝わる魅力という意味で、多分17%くらいしか伝わらない。(数字に根拠はない。)
なので、この本のように、一体の仏像を写真を何枚も使って紹介してくれると、
パーセントはいくらかでも上がってくる。
全体像、アップ、細部、横向き。
全体像はともかくとして、アップや細部は実際に見る場合には通り過ぎてしまう場合も多く、
こういう本だと、写真家の目が、こちらを引き据えて「見ろ!」と言ってくれるので、
自分の視点とは違う部分を楽しめる。
……かといって、土門拳とかの写真になってしまうと、またちょっと違うんだろうなという気がする。
こういうビジュアル本には素直な写真を求めたい。あまり表現が前面に出てくるようだと、
スタンダードな印象からは離れるような気もするしね。
この本は西村公朝著になっているけど、写真も大事。
というより、文章は付け足し、写真を見るべき本。
ちなみに撮影は、小川光三、菅谷孝之、三好和義、米田太三郎とのこと。
わたしは小川と三好しか知らないが、少なくともこの二人はビッグネームですよ。
誰がその写真を撮った、という説明がないのが不思議なほど。
これはマイナスと捉えたらいいのか、それとも無署名であることに積極的な意味を見るべきなのか?
わたしとしては(編集者が意志をもって)無署名、と見たいが。
でも、写真家は少し口惜しいんじゃないかな。
アマゾンでも目次で前半のラインナップは見られるが、せっかくなので残りのラインナップを挙げる。
新薬師寺 十二神将像
伝香寺 地蔵菩薩像
唐招提寺 盧舎那仏像 千手観音像 鑑真和上像
薬師寺 薬師三尊像 聖観音像
法華寺 十一面観音像
聖林寺 十一面観音像
円成寺 大日如来像
浄瑠璃寺 阿弥陀如来像
わたしが行ったことのある寺は12箇所のうち8箇所、
挙がっている仏像のうち、じっくり見た、という記憶のあるものは7つ。
以下、思い出話。
法隆寺 百済観音。
法隆寺に行った頃のわたしは、梅原猛「隠された十字架」にとっぷり浸かっていたので、
百済観音もけっこう色眼鏡で見てしまったなあ。
この仏像は、数多の仏像とはどこか違う。何とも似ていない、別格な気がする。
生身の息吹が感じられるような。
優しげで、繊細。しかし暗闇にゆらりと立つ聖霊の不気味さも感じる。
いかん。いまだに「隠された十字架」の影響下にあるようだ。
中宮寺 伝如意輪観音像。
これはもう見る前から好きで好きで。
これと広隆寺の弥勒菩薩像は双璧でしょー。双子のように、とは言いすぎだが、
絶対なんらかの関連があるよね。(←まったく知識のない状態なので信用してもらっては困るけど)
中宮寺は聖徳太子縁のお寺、広隆寺は秦氏縁のお寺だし。
優しい。底の底まで優しい。髪型が可愛らしくもユーモラス。
東大寺 四天王像。
これはブツ自体よりも、はるか昔、戒壇院に見に行った時の係の人の言動が妙に印象に残っている。
大仏殿は混んでいても、わたしが行った時の戒壇院は他に誰も人がおらず、
係の人も手持ち無沙汰だったんだろう。なんだかちょこちょこ話しかけてくる。
「先日も偉い大学の先生が研究に来て、すごいものだと感心して見て行った」。
その口ぶりがいかにも自慢、という感じだったので……。
……いや、アナタが改めて自慢しなくても、この四天王像の評価は既に高いですから。
評価が高く、有名だからこそワタシも見に来ているんです。
と、内心で思い(さすがに面と向かって口に出すほど性格は悪くない)、
しかし出来れば静かに見たいよなあ、と苦笑しながら見ていた記憶。
特に多聞天と広目天の写真を見て思うのだが、こういう人いるよね。誰だっけ。
わたしが思いついた所では、――中尾彬はどうでしょうか。
興福寺 無著・世親像。
これはね。博物館のエキシビでじっっっっっくり見たんです。
写真でもなかなかですけれども、実物は、本当に生きているよう。
玉眼のゆえだろうが、まなざしが生きている。長い旅をして来た兄弟の意志を感じる。
無著は恐ろしいほどに厳しい目をしていました。写真で見るよりずっと恐い。
信念のためなら、手段を選ばないような怖さがある。狂信ぎりぎり一歩手前の表情に惹かれる。
これはもう……見る気のある人間は是非見ろ!と言いたい一対。
年月を経たせいで、かなりシミが出ているのが惜しいが。
新薬師寺 十二神将像。
これもブツ自体よりも、そのそばにいた人の記憶の方が。
今は状況が違っているかもしれないけど、当時は新薬師寺は全国区で有名とは言えないような、
わりあいに寂びたお寺だったんですよ。観光客はちらほらしかおらず。
そんな折に訪れたわたしに、受付の人が愚痴を言う。
「うちの十二神将さんも、東大寺の四天王さんに負けないくらいいい仏像なのに……」
何しろ、前日に散々戒壇院で自慢を聞かされている。それでこの台詞なので、
笑うしかなかった。気持ちはわかるが、大学生に愚痴ってどうする。
でも人がいない分、静かに見ることが出来ました。
唐招提寺 鑑真和上像。
これも博物館のエキシビで。3年くらい前だったような気がしたが、地元に来たのは
5年前らしい。4年ちょっと続けているこのブログには感想は書いてない。
作った人は、どういう立場の人だったんだろうと思う。
和上にとても近いところにいて、そして技術を持った人でなければ不可能な到達地点。
敬愛の情がこの像を内側からほの光らせる。
故国では高い地位にあり、しかも年齢も60歳近かったこの人が――
当時は危険な旅路だった海を渡り、失明までして日本へ辿りついた。
この像からはその激しさは伝わってこない。ただ、慈愛しか。
この像があることで、今に至るまで、鑑真は忘れ去られずにいるんだな。
千年伝わったことを聞いたら弟子たちはきっと喜ぶだろうな。
薬師寺 薬師如来像。
高校の修学旅行は京都・奈良。薬師寺にも行った。
行った人は知っているだろうが、薬師寺のぼーさんの話はオモシロイ。
話芸として洗練されている。お陰で、塔の一番上の飾りが水煙という名前であることと、
この薬師如来が薬箱の上に座っていることは忘れないよ。
その後、自分で行った時の薬師如来。
何だかとてもモダンな造型に見えた。銅造でピカピカしていて、顔が普通のバランス。
時代差を感じなかった。その印象は今も変わらない。身近な感じがする。
(長くなったので……その2へ続く)
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