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◇ パヴェル・コホウト「プラハの深い夜」

(内容に触れています)

初めに文句を言っておくと、見返しの内容紹介はミスリードだと思う。
出版社が早川書房で、装丁の雰囲気もミステリ、まあたしかにミステリとして
売りたいんだろうが、これはミステリで包んでいるにせよ、本質的には第二次世界大戦もの。
第二次世界大戦ものというのが前面に出ていれば、わたしはおそらく読まなかった。

未亡人の連続惨殺事件をきっかけに、チェコ人の若き刑事モラヴァと、
ドイツ検事局の検事ブーバックは知り合う。捜査を通じて、彼ら二人は
占領国と被占領国の国民という立場の違いを超えて微妙な信頼関係を築いていくが、
ヒトラーの死、第三帝国の崩壊により、“その時”のプラハでは全てが錯綜する。

抑制の効いた、バランスの良い作品だ。
このジャンルにしては、わたしは熱心に読んだ。淡々と話が進んでいくので、
止められない面白さというものではないにせよ、一度外読みをしてそれにあきたらず、
家で最後まで読むことにしたんだから、小説としての魅力はあったのだろう。

入口をミステリにしたのは成功だと思う。そして話を収束させるのにもミステリ導入は奏功している。
作者が一番書きたかったことは、後半の“波頭が崩れる時のプラハ”だとわたしは思っているが、
プラハのその時の状況や他国を含めた関係、かなり面倒な話をごちゃごちゃと書いているわりに
比較的きれいに終わっているのは、小説の終幕を連続殺人事件の解決としたからだろう。

話の筋としてミステリを使ったことで、世情は背景として描写すれば良くなる。
チェコと世界の包括的な状況の説明・その総括を省くことが出来る。
ただ起こったことを(注・フィクションの中で)描くだけで済んだのだから、かなり省エネ。
これが最初から“その時のプラハ”を真正直に書いていたら、小説としては相当に地味に、
しんきくさいものになっただろうし、作者がフィクション内で戦争を総括するという
けっこうな重荷を背負うことになるし、終わりをどこに持ってきたらいいか大変難しくなる。
巧いやり方だな。

とは言え、……知っておくべきなんだろうけど、あまり知りたくないんだ、
第三帝国崩壊時の被占領国の状況なんていうものは。
この本にも出てくるよ。解放と復讐に酔ったチェコ側の残虐行為。恐怖と虚勢のドイツ側の残虐行為。
人間がこういう時にどれほど獣になるのかを想像すると、――顔を背けたくなる。
わたしがその場所で、もしチェコ人としていた時に、復讐の祭りに参加したくならないか?
ドイツ軍人としていたならば、自分の命も諦めた時に、自棄になって無差別殺人に走らないか?
一般のドイツ人であったならば、チェコ人の襲撃をどれほどの恐怖で待つことになるのだろう。
わたしはそういう想像をさせる作品を好まない。

※※※※※※※※※※※※

人間がまだ動物であった頃から、生きることは競い合うことであり奪い合うことだった。
より増えるために。より豊かになるために。より幸せになるために。
そんな風にしか生きられなかった。
人間の本質はそこから変わっていないと思うが、どうか。

地球というパイは有限だ。
人は日々、どんどん増え続けている。資源は減り続ける。
文明という衣をまとっても、その事実は変わらない。――文明は人を根本から変えはしない。
いや、たとえ猿が人間になるほどの変化があったとしても、生きることは奪い合うことというのは
生命体全ての宿命なのだから、そこから抜け出すことは出来ないだろう。

理性は人の武器たり得るのですか、イケザワさん?
わたしは現代人の理性を信じたかった。集団の善意を信じることは出来なくても、
理性を――功利性と言ってもいいが――持った人間の集団ならば、ある程度のラインは
越さずにいられるだろうと。
しかしアメリカはアフガニスタンとイラクに兵を送った。

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過去において、戦争は悲惨で忌避されるべきものであったにしても、それが悪とされていたかどうか。
より豊かに生きるために必要なら、強者はそれを肯定しただろう。
支配者のみならず、一般庶民さえも。ごく最近でも――日清・日露の頃の庶民の表情を見てみろ。
勝てば戦争は肯定されるのだ。

日本においては、アメリカの(初期の)占領政策に従順に、戦争は否定されている。
いや、されていた。戦争放棄と戦力の非保持。これは憲法に今も文章としては残っている。
――有名無実の条項として。

戦争放棄は妥当か否か。戦力の非保持は妥当か否か。
それから話を始めなければならないはずなのに、日本では憲法という根本を骨抜きにして、
「自衛」する軍隊だから戦力には当たらないという阿呆な理屈を言い、
後方支援活動だから戦闘行為ではないと言う。そして結局、イラクに軍隊を送っている。
どこまで誤魔化せば、どこまでなし崩しにすれば気が済むのか。

……こういうことを考えるのがほとほと嫌だから、こう嘯きたくもなる。そして思考停止。

紅旗征戎吾が事に非ず。

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本作品は、内容がグロテスクで暗いわりに、読んでいてそれほど辛くないのは、
キャラクターが魅力的だからだろうと思う。(まあ犯人を除いて)
一番のお気に入りはベラン署長。この人は実に味のある人物で、主人公にとっていい親父さん。
守護天使みたいだ。ヴィジュアル的に浮かんでいたのは「カサブランカ」のルノー署長。
もっともルノーは、映画の中ではこすっからい人だが……。
ブーバックはプーチン大統領のイメージが何となく浮かんでいた。
ドイツ人とロシア人の人種的特徴の違いの知識がないので。って今は首相ですか。
ブーバックと重ねることで、プーチンに対する印象が意味もなく良くなるというのもどうかと思うが。

結末のつけ方は納得できない……というか、ああしなくても収束した気がする。
どっちでもいいなら別な方向にして欲しかった。

チェコ人が書いたにしては、ドイツ側もなるべく公平に扱おうとした努力は感じるけれども、
完璧に客観的に書くことは人間には不可能だろう。

「ドイツ人は悪だ」ということを前提にして、登場人物として
(書き手側≒読み手側にとって)善いドイツ人を設定するのと、
中立を前提にどっちつかずの登場人物を設定するのでは、現実の関係にどちらが利するだろう。
わたしには答えは出せないが、どうせなら利する方の書き方を支持したいと思う。
ちなみに本作はどちらかというと、前者。

なお、エピローグの最後の2行の意味がわからず、一瞬パニックになりかけたが、
それはそれ以後の政治状況を暗示する意味を持つ文章だったようだ。
チェコ人にはすんなりわかる最終行なんだろう。
作者は亡命を余儀なくされたほどの、政治にどっぷり漬かった立場の人のようだから。

この人は、経歴が実に多様。
詩人でシナリオ・ライターで劇作家で演出家。
カレル大学哲学科で比較文学、美学、演劇を学び、
放送局で働き、モスクワのチェコ大使館に文化担当者として赴任し、
雑誌の編集者を経て作家。(本書見返しの著者紹介よりほぼ引用)

職業のコレクションをしているかと思うほどだよ。
だが、77年のプラハの春ではリーダーの一人となり、その後亡命生活を強いられ、
89年のビロード革命までは帰国出来ずにウィーンにいたらしい。

遠い日本からすると、実感出来ない境遇だ。
すでに歴史になっている(と感じる)第二次世界大戦くらいまでは、亡命という言葉も
実在していただろうが、今の日本に住むわたしは歴史用語だと感じる。
だが、89年というと20年前。風化する時間ではない。

プラハの深い夜 (Hayakawa novels)
パヴェル・コホウト
早川書房
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これを書いた直後、わたしは池澤夏樹の「マリコ/マリキータ」という本を読んだ。
5編を収録した短編集で、その最後の「帰ってきた男」を読んだ時、
回答ではないにせよ、わたしが書いたことへのちょっとしたメモ程度の返信に思えて苦笑した。
読書の世界ではしばしば起こる共時性。
まあSFでもたまにお目にかかる設定ではあるけれども。

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