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◇ 田中充子「プラハを歩く」

最近この人の著作を3冊読んだ。
……だが、どうも読んでいてイライラする。

1冊目に読んだのは「プラハ 建築の森」という本。

プラハ建築の森
プラハ建築の森

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これのかなり最初の方でひっかかった。

   東アジアでもこのころ、シベリア大陸から騎馬民族ないし森林水行民が
   大挙日本列島に押しかけている。それが、日本神話では高天ケ原族と表現され、
   地の民の原住民は降伏して国譲りをしている。

……わたしの知らないうちに、騎馬民族征服説は定説と認められたのか?
騎馬民族=天孫族というところまで含めて?
ここ何年も日本古代の本を読んでないから、個人的にこの辺の知識は更新出来てないけれど、
そう簡単に認められるような問題ではないはず……

ところで森林水行民って何?
なんだろうと思ってネットで検索してみたが、1件もヒットしない。
誤植の可能性もあるかと思い、念のため森林水耕で検索してみてもひっかからない。
「ネット上にない言葉は存在しないのだ」と言ったら電脳に侵されすぎだが、
それにしても1件もヒットしないということは、少なくとも一般的に認められた言葉とは思い難い。
わたしが知らないという時点で、一般人向けに説明が必要だ、と主張してもかまわない気がする。

まあ各論は置いておいてもいい。
最大の問題は、「プラハ 建築の森」というタイトルの本において、
全くテーマとは関係のない、日本古代の微妙な状況を断言してしまうワキの甘さだ。
文脈的には完全に付け足しの部分なのだから、こんなこと書かずに済んだはずなのに。
コノヒトハシンヨウデキナイ。
一度不信感を抱いてしまうと、もう何を言っても、ホントか?と横目で見ることになる。

そして、実は文章も微妙に変です。
接続がおかしかったり、文章の始まりと終わりが文法的に繋がってなかったり。
こんなん、何度か原稿を読み返せば直せる部分だと思うんだけどなあ。
こういう文章を読むと消耗させられる。微妙なだけに余計。

この人、なぜか「同時に」「同様に」をひらがなで書く。
3冊ともそうだったし、天下の岩波も直させてないんだから、本人が意志をもって
書いているんだろう。しかしなぜ「同時に」「同様に」がひらがな?
こういうのは基本的にはどちらで書こうが本人の好み。でもある程度のラインはあるよね?
わたしの感覚では「どうじに」「どうように」はラインを越しているのだが……

論旨や文章の運びもおかしい。
「なんで?」「根拠は?」と言いたくなったり、「それはあなたの直観ですよね?」と
確認したくなったり。なぜこの章で話の枕がそれ?とか、いや、そこはそんなに
しつこく説明する部分じゃないだろう、とか。
特に本の前半(というか、話がアールヌーボー部分に差し掛かるまで)が気になる。

※※※※※※※※※※※※

一応この本はボヘミア地方の建築通史を扱おうとしているようなんだけど、
アールヌーボー以前についての言及は、どうもうすっぺらく感じられてしょうがない。
……いや、違うな。プラハの建築について語るのに、ボヘミアの森の話に中途半端に
ページを割くからバランスが悪くなってるんだ。

この人の肩書は(2001年の段階で)京都精華大学助教授、専攻は建築史とある。
専攻は何の建築史なのかね?
専攻が「プラハのアール・ヌーボー」だったら、ぜひその辺の話だけ書いてて欲しかった。
そうすればそれほど不満は抱かなかったような気がするよ。
で、専攻が「プラハの建築史」であるのなら、他の時代についての言及が浅すぎる。

プラハの建築通史を語れるほどの知識があるように思えないのだ。
ほんとに知識がないのか、それとも文章が下手なので豊富な知識が伝わらないのか
それはわたしには判断出来ないんだけど。

例えば初期プラハ城について。
「農民の逃げ城」云々って言ってるけどさあ、それは何か文献を見ての判断なのか?
それとも単に、「こんな大きなものは必要ない」って主観だけでそう書いてるの?
っていうかそれ以前に、城が敵が攻めて来た時の防塁になることなんて、
ものすごく一般的過ぎて、わざわざ主張するまでのことではないと思うのだが……

で、その次にすぐ「じっさいにプラハ城に籠城したかどうか分からないが」と書く。
……えーえーえーえーえー。なんかもう論旨があちこちに行ってて、
「ナニを言っているのだ、アンタは」状態。
ってか、実際に籠城したことがあったかどうかくらい、とっとと調べろ!!

いやしくも建築史家と名乗るんならさあ……。
素人がエッセイとして書くなら、ある程度こちらもそのつもりで読むから、
自分の想像が多くなってもそれほど気にならない。
想像か一般的な知識かがはっきりわかるように書いてある分にはね。

が、この人の肩書は建築史家だ。
専攻がヌーボーだとしても、その立場の人が全プラハの歴史と建築について言及するなら
専門の人として書かなきゃ駄目だろう。
学者が書く一般書は、確実性が価値なんだよ!思いつきで書くなっ。

何しろボヘミアが森だった頃のことから話を始めているからなあ……。
話がでかすぎる。この範囲を書くには、役者不足だと思います、コノヒト。

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ま、ヌーボーやキュビズムのことを書いている分にはあんまり腹も立たない。
なので、3冊目の「建築巡礼31 プラハのアール・ヌーボー 壁装都市の歴史と栄光」は
それほどイライラせずに読んだ。まあ日本語はやはりネックなのですが。
写真はきれいだしね。写真に罪はない。

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実は「プラハ 建築の森」と「プラハを歩く」の内容は相当に重なっているように思う。
この2冊をそれぞれ別の出版社から出して、双方から原稿料を頂こうとは、
なかなか肝が太い……とわたしは思いました。

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